今日は川越で開催された「中帰連平和記念館」15周年集会に参加してきた報告です。中帰連平和記念館は川越の西南のはずれ笠幡にあります。多くの人が訪れるにはやや不便な場所ですが日中問題研究者にとっては貴重な資料が保管されている重要な施設です。日本軍は1931年中国大陸で侵略戦争を始め数々の残虐非道を行いました。60万人余の日本兵は捕虜となってシベリヤに抑留されましたがそのうち約1千名は1950年中国撫順戦犯管理所に移送され自ら犯した戦争犯罪を認める学習をさせられました。その後1956年7月の瀋陽の特別軍事法廷での判決でほぼ全員が毛沢東、周恩来による寛大政策により無罪とされ帰国しました。帰還者は帰国後「中国帰還者連絡会」を作って「反戦平和運動」と「日中友好運動」を展開、平和館はこの歴史的事実に関連する記録文書などを保管するNPO博物館です。

今日の講演者の一人東京都立大学の石川求教授(西洋哲学)は中国からの帰還者が戦後、母国日本は民主主義・平和国家に生まれ変わったと想像していましたが帰国した途端、共産党に洗脳されたアカ、要注意人物として警察からマークされ就職もままならなかったギャップに失望したと言います。しかし中国からの帰還者を洗脳されたという迎えた側の日本の状況はどうか?戦後アメリカの統治下日本は自らの戦争責任を認めるどころか天皇の戦争責任なども封印したまま現在に至っており安倍政権は日中戦争・東南アジア侵略を反省するどころか正当化する始末。アメリカおよび戦後長く続いた保守政権による徹底的な洗脳によって日本国民はすっかり日米同盟深化、軍事力強化とアメリカ言いなりの奴隷に成り下がっています。戦後中国から戦争責任を自ら認め帰還した旧戦犯と、危険極まりない軍事大国アメリカ追従一辺倒の日本人の一体どっちが外国に洗脳されたというべきか?と問題を提起しました。全く同感です。また多くの日本人はドイツのヴァイツゼッカ―大統領が1985年ドイツ終戦40周年記念に行った謝罪演説を賛美し日本は未だに謝罪していないと言います。しかしドイツ社会が戦争責任を認め始めたのは1968年世代の学生運動がナチス時代の自分達の親の過去を糾弾したことから始まったと言われます。撫順戦犯管理所の戦犯が戦争責任について自ら認め謝罪した15年近くも後のことです。謝罪したのが大統領か、戦争に手を染めさせられた旧兵士かの違いはありますが日本人の戦争責任の認罪、謝罪はドイツにずっと先駆けていたのです。

ドイツが政府として戦争被害者に謝罪しているのに比べ日本政府は未だに戦争責任を否定しているその差は恥ずべきことです。罪を認め、事実を認めて詫びるべきは詫びることから未来が始まるのであり安倍首相一派がいう、“過去のことをいつまでも言うより未来志向で”は被害者の悲しみをまったく想像すら出来ない「愛」のかけらもない人非人政治家たちの言い草です。

2021年11月21日 安倍菅自公政権の非道をあらためて思いおこしながら 記

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