本日の担当は小倉志郎さんです

―以下小倉さんの寄稿文の引用―

 第二次世界大戦の末期、1945年に入って日本の主要都市は米軍の猛烈な空襲によって焼け野原になってしまった。

その猛烈さは絨毯(ジュータン)で覆うように爆弾の落ちない所が無いくらいの密度で爆弾が落とされ「絨毯爆撃」と形容された。

私が小学2年生で疎開先から誕生の土地である今の東京都大田区に戻った時には何キロも先まで見渡せるほどの焼け野原だった。

しかし、被災した人々は無条件降伏の天皇の放送があった翌日から食料確保のために、焼け跡の土地にイモや野菜を植え、手作りのバラックで暮らし始めることができた。

 これから日本が戦争に巻き込まれたらどうなるだろう。

50基以上も海岸線に並べた原発の何基かが武力攻撃によって3・11フクシマ並みの事故を起こす可能性が大きい。

日本の全土が濃淡の差はあるにしても放射能で汚染されてしまう。

たとえ戦争が終わっても元の住所に戻ることはできないだろう。

放射能で汚染された土地でイモや野菜をつくることはできないだろう。

それはチェルノブイリ原発や3・11フクシマ事故の結果を見れば容易に想像できる。

即ち、前世紀の戦争と今世紀の戦争では被害の様相がまったく違うのだ。

いずれ戦争が終われば爆弾やミサイルは飛んで来なくなるだろう。

しかし戦争中に原発から漏れ出した放射能は目に見えないまま数万年もその土地に留まる。

放射能は爆弾よりはるかに怖いのだ。

22022年10月4日 記 小倉志郎

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