―以下本日の担当小倉志郎さんの寄稿文の引用―

 軍備必用論者(A)と話していると「抑止力」という言葉が出てくる。

それは次のような場合である。

「外国から攻められたらどうする?」という問いかけに対して、「自衛のための軍備を持つべきだ」と言うのがAの常套句である。

「憲法第9条に違反している」という批判に対してAは「憲法は自衛権を否定していないから自衛、即ち、専守防衛のための軍備は憲法違反でない」と答える。

「原発を国内に54基も並べていて自衛戦争をすれば原発から環境に放射能が漏れ出し、日本は人が住めない土地になるから戦争はできない。だから、軍備を持っていても使えない」と言えば、Aは「だから、戦争をしないための『抑止力』として軍備を持つのだ」と反論をする。

 即ち、Aは、使えないとわかっていながら「持つべきだ」と主張するのだ。

実に矛盾した話だが、Aは大真面目である。

「では、どの程度の軍備を持てば『抑止力』になるのか?」と問えば、「相手が日本を攻めるのをためらう程度の軍備だ」と答え、具体的な程度については答えない。

当然である。

相手国=仮想敵国=の軍事力も日本に対する敵対意識も正確には判らないのだから、「抑止力」としての軍備の規模など決められるわけがない。

 Aの最大の盲点は、軍備を持てば軍隊の暴走によって想定外の戦争が起きかねないということだ。

そんな頼りにならず危険極まりない軍備は持たないのが一番だ。

2022年10月18日 記 小倉志郎

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