-以下本日担当の小倉志郎さんの寄稿文引用ー

 外国に行った時に不自由するのは「言葉の壁」だ。

私は長い間習った英語すらまともに使えないので、ハワイや韓国の土産物店で日本語が通じた時はほっとしたものだ。

アメリカにはチャイナタウンやコリアタウンというエリアがあり、中国語や韓国語が通用する。

コンピューターの翻訳ソフトの進歩が著しいがまだ十分意訳ができるほどではない。

ところで日本国内を眺めてみると、不思議なエリアがある。

日本国内でありながらそのエリア内では日本語が通じないのだ。

どこかと言えば、霞が関と永田町だ。

例えば、憲法第9条で「国際紛争解決の手段としての戦争を放棄する」「そのために武力を持たない」と明記してある文言を、政府の大臣や国会議員たちは「自衛のためなら戦争してもよい」「自衛のための武力は持って良い」という意味に解釈するのだ。

このような解釈は憲法違反であろうと裁判所に訴えると同じ霞が関にある裁判所の裁判官たちにはその訴えが通じないのだ。

つまり、日本の立法・行政・司法の分野では日本語がまともに通じないのだ。

日本の三権を握る中枢部において、多くの国民が日常使っている日本語が通用しないのだから、日本の「社会的病」は重篤と言わざるを得ない。

大臣・国会議員・裁判官たちには日本語の義務教育からやり直させる必要がある。

2023年4月28日 記

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