ー以下小倉志郎さんの寄稿文引用ー
日本では「改憲」派と「護憲」派とが長い間自らの主張をそれぞれ国民に対して宣伝する「情報戦争」が続いて来たが、どうやら、大手マスメディアを傘下に収めた前者が圧倒的な勝利を収めそうな状況だ。
それは、衆参両院ともに改憲派の議席が改憲発議に必要な3分の2を超えているからだ。
護憲派の抵抗は「風前の灯」と言ってよい。
憲法第9条を護り、戦争を絶対に避けたいと願う人々は新しい情報戦争の闘い方を編み出すことが必要だ。
実はその方法は既に見つかっている。
7年前から私が毎日続けている一人デモだ。
家を出て帰宅するまで、大きく手書きしたプラカードを胸と背に吊るしている。
一日に出会う人の数は数千人になるだろう。
その半分は政治に無関心な人、自民・公明・維新に投票する人など様々だろう。
その意味で、同志ばかりで集まる集会やデモに比べてはるかに宣伝効果が高い。
後は、この効果の高い一人デモを実行する人が増えれば良い。
実体験に基づき私が仲間に勧めると「私もやる」とすぐに始める人もいるが、「良い方法だが、私にはまだできない」と逡巡する人が多い。
一人デモ人口の増え方は遅々としている。
「遅々としている理由は?」と仲間から問われて、私は「勇気だ」と答えた。
すると「勇気はどうすれば持てるか?」ときた。
答えに窮した。
「勇気を持ってもらうにはどうすれば良いか?」が今の私の宿題だ。
2023年8月10日 記
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思わず笑ってしまいました。ありがとうございます。
私は2003年からニューヨーク市、ユニオンスクエアーで毎週木曜日、イスラエルによるパレスチナ占領、及び反戦のヴィジルに約10人の仲間と立っている。またイラク戦争の2003年以来、バックパックに「War is the Defeat of Humanity」(戦争は人間性の敗北)と書いたバッジを今日までつけている。イラク戦争当時は道ゆく人、地下鉄の中で、買い物の店で、「I agree!」と、多くの人から声をかけられ、時に長話になることもあった。そこで、バッジはデモ仲間でバッジを作っている人に頼んでいたので、たくさん作ってもらい、常時バックパックの中に入れていた。このメッセージに賛同してくれた人にあげると彼らはその場でバッジを胸に付け、「頑張ろう」と言ってくれた。現在は少なくなったとはいえ、今でも「あなたの意見に賛成、ありがとう」と言ってくる人は多い。
「一人デモ」ですが、小倉さんのデモに賛同する人と2人で、あるいは数人で、プラカードをつけ、道ゆく人に手渡すチラシを用意し、毎週、同じ場所、同じ時間に立ってみたらどうですか?そうして立つことに慣れてくると一人でもデモれるようになります。勇気より、「慣れ」なんです。また、一人でプラカードを下げて歩くより、大きめのバッジを作ってバッグやバックパックに付けて歩くのは一人でプラカードより、やりやすいと思います。
時間がありません。とにかく、他の人たちがやりやすいやり方を考えたらいいと思います。
みたち美会子さん、コメント、ありがとうございます。そうです。バッジであれ、何であれ、自分のやり易いやり方で良いのです。ただ、大事なことは、政治に無関心な人や自民党などの軍備増強路線および憲法改悪に賛成の人々に対して、考え直すきっかけを与えることがでできるように、はっきりとしたメッセージをを表現することです。仲間同志で「この人も仲間だ」と分り合うだけでは政権を交代させることは難しいと思います。私も仲間の提案で白いリボンを付けたり、「9」と表示したカードを吊るしたりと色々試行錯誤をした結果、今のスタイルにたどり着いたのです。約10m先からでもメッセージが読めるっくらいのプラカードを吊るすのが通り過ぎる人々へ伝えやすいようです。チラシはA5サイズの両面印刷1枚ものを何枚か常に用意していて、声をかけて来た人には手渡しをしています。それから、一人デモは家を出てから帰宅するまで歩く時も電車・バスに乗っている時も、スーパーマーケットに入った時もプラカードを付けたままデモをします。色々な人が色々な反応をするのを観察するのが楽しいですよ。
小倉志郎さま、私がコメントを残して早速お返事をくださったこと、今夜気がつきました。そうですね。心の中では思っていても結局何もしないより、自分がやりやすい方法を見つけて表現することが先決問題です。アジア人の私はここで(アメリカで)「米軍は日本から出ていけ」のような主張を書いたバッジやプラカードをつけることはできませんが、(袋叩きに会います)私が毎週顔を合わせるデモ仲間は、バックパックやバック、帽子に5個から10個のそれぞれメッセージの違うバッジをつけています。一人の車椅子の人はレインボーの旗と、メッセージを書いた小さめのプラカードを車椅子の前側につけています。(彼、彼女たちは全員白人)私もイラク戦争当時は「Free Palestine」を含めて5個の言葉の違う反戦バッジをつけていました。私は一度、日本に行った時に私のバッジを見て3人の10代終わりくらいの男の子に声をかけられたことがあります。短かったけれど、戦争について話しました。プラカードをどこへ行くにも吊るして歩くのは多分リタイアーした人しかできないと思いますが、そこまでは出来ないという人は、まず始めに、複数のバッジでもいいですから立ち上がっていただきたいと思います。