埼玉県狭山市で没した遠藤三郎元陸軍中将は非武装中立日本の実現への確信を与えてくれた偉人です。
彼の人生の軌跡は宮武剛著、遠藤三郎日記「将軍の遺書」毎日新聞社
に詳しく書かれています。
陸軍幼年学校、陸軍士官学校(26期)、海軍軍令部参謀、フランス陸軍大学首席卒業後帰国して参謀本部作戦課、関東軍参謀副長、満州事変、上海事変、熱河作戦を体験し2.26事件では反乱軍を説得、マレーシア上陸作戦、シンガポール攻略戦、ジャワ攻略戦を経て陸軍航空士官学校長、軍需省航空兵器総局長官まで歴任した超エリート軍人です。
その彼が戦後、一転して軍備全廃を終生唱え続けました。
エリート軍人の変節の理由は元同僚らも理解できず、彼は偕行社で行われる陸士の同期会から排除されました。
何故彼の考えが変わったのか?
それこそ戦場と参謀本部を共に経験した彼ならではの実戦から得た教訓です。
即ち「戦争に勝つには敵に日本の制空権を奪われる前に敵の制空権を奪うしかない,
即ち先制攻撃するしかない」です。
しかし先制攻撃すれば必ず反撃されます。
だから勝つためには先制攻撃で敵の反撃能力を壊滅できるほど圧倒的優位な軍事力を持たねばなりません。
しかし世界中の殆どの国には、日本も含めて、敵を徹底的に壊滅するだけの軍事力などありません。
だから初めから軍備を持つ意味がない、と言うのがプロ軍人の彼の結論です。
安保関連3文書を作り上げた有識者会議(自衛隊制服組OBの集まり)で実は同様のことが話されていました。
しかし敵基地先制攻撃とは言えないので反撃能力と言い換えただけです。
本音は敵が攻撃する寸前に敵基地を先制攻撃するしかないことを皆知っています。
戦争が起こることを前提に、勝つには先制攻撃するしかない、と思うのは有識者会議の参加者が皆戦争が無くては生活できない安保ギャング(旧安保村)だからです。
「戦争は絶対にイヤだ」と言う私たちは、戦争をしたくてもできないようにした憲法第9条2項の陸海空その他の戦力不保持を本気で実現するしかありません。
2024年6月11日 記
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