日本国憲法の理念は恒久平和、基本的人権、国民主権の3本柱と教わりました。
憲法前文に日本は世界の先頭に立って恒久平和のために貢献すると書き、非戦非武装を第9条で宣言しているにも拘らず最高裁は安保問題になると憲法判断を避けます。
こんな日本で憲法裁判所を設置しても自公政府が司法を裏から支配している限り無意味じゃないかな?
コスタリカは日本と違い違憲の訴えに対して訴えの内容を憲法制定時の憲法理念に照らして合憲か違憲か判断します。
コスタリカの憲法裁判所は憲法理念である「平和主義」に反するいかなる行為(イラク戦争の応援国に名を連ねることなど)も憲法違反と断じました。
日本のように訴えに具体的金銭的損害や利益があるかなどは問いません。
日本もすべての違憲訴訟において制定時に憲法に込められた理念に照らして正しいかどうかだけを判断基準とすべきじゃないのかなぁ。
日本では同性婚に対して憲法24条の両性とは男と女の事、と文字通り解釈して同性婚は憲法上書かれていない、などと退けます。
しかし憲法の理念は結婚は本人同士の気持ちだけで決めるもので第3者の強制などを排除するというもので性別はといません。
文言にこだわるというなら
改憲派の世襲ボンボン政治家などが私学助成金(憲法では禁止されている)を得ている私立大学を卒業しているのも僕はおかしいと思います。
憲法の教育機会の均等の理念にあっているから私学助成を司法も黙認しているんです。
総選挙の規定を参議院選挙にも当てはめて運用しているのを改憲派は何も文句言いません(参議院選挙は半数改選で総選挙ではない)。
日本を軍事大国にするために平和憲法は邪魔だから変えようとする自公維国民など改憲派の邪悪な政治家の言い分が純真な僕にはご都合主義に見えて仕方ありません。
こんなに素晴らしい憲法を文字通り実践すれば何一つ困ることはないとずっと思っている僕です。
2024年6月18日 記
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