―以下小倉志郎さんの寄稿文の引用―
「支援」とは広辞苑によれば「ささえ助けること」とある。
困っている人々を助けるのだから、美しい行為のような印象を受ける。
その印象通りの場合もあるが、現実には全く異なる意味を持つことがある。
例えば、3・11フクシマ原発事故で故郷から離れた土地で避難生活を強いられている人々への住居の提供や家賃の減免などが「支援」と称して行われてきたが、最近は次々に「支援」が打ち切られて、普通の日常生活を続けるのさえ困難な人々が生まれている。
あろうことか、提供されていた住居を離れることができない人々が裁判に訴えられる場合まである。
危険な原発の稼働を許した政府に責任があり、本来は避難している人々に「賠償」をするべきなのに、「支援」という言葉により、そのことが隠されてしまった。
国際的にもそういう例がある。米国をはじめとするNATO諸国がウクライナにミサイルや戦車など様々な兵器を供給する「支援」を行っていて、日本も「非殺傷分野で」という条件付きで防衛装備品などを供給する協定を結んだ。
残念なことはこれらの「支援」は全てウクライナの戦闘継続ができるためのものだ。
「支援」と称しながら、実はウクライナ国民が本当に求めている早期の停戦を妨げているのだ。
これではウクライナ国民を助けることにはならない。
2024年6月17日 記
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