―以下小倉志郎さんの寄稿文の引用―

 「悪法も法なり」と言って、悪法により死刑判決を受けて、毒杯を飲んだ世界史上の大偉人がいた。

ソクラテス(BC470頃~BC399)だ。

その悪法の中身や違法とされる行為について具体的なことは不明だが、「神を冒涜した」罪と聞いている。

今から2千数百年前のギリシャでは、ソフィストと言われる知識人たちが様々な自説を「神のお告げだ」と権威付けして若者たちを扇動していた。

それに対して、ソクラテスは若者たちと対話を繰り返し、「神のお告げよりも、自らの冷静な思考を信じなさい」と説き、多くの若者たちの賛同を得た。

ソフィストたちからすれば、ソクラテスは邪魔な存在だと妬み、「神を冒涜した」と訴えるに至った。

というのが私の極めて単純化した仮説だ。

命が助かる方法があったのに、敢えて悪法を「尊重」して死を選んだソクラテスの考えが私には理解できない。

翻って、今の日本を眺めれば悪法だらけだ。

しかも、憲法があり、その第98条には憲法に反する法律は無効とまで明記されているにもかかわらず、憲法違反の法律が、「法律」としてまかり通っている。

歴史に「if」が通用しないことは知っているが、敢えて「if」を使う。

もし、ソクラテスが現れて、今の日本を観て「悪法も法なり」と私たちに悪法に従うことを説くなら、私はソクラテスを尊敬はしないだろう。

2024年6月19日 記

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