―以下小倉志郎さんの寄稿文の引用―

 私は東京新聞を購読しているが、その日曜版(2024年6月23日)に「沖縄戦と特攻」という2頁見開きの大きな記事が載った。

副題は「人命軽視の作戦はなぜ行われたか」である。

爆弾を抱えた戦闘機が操縦士もろとも、敵の軍艦に体当たりをする戦法、即ち「特攻」が行われるにいたった経緯を詳しく調査した労作と言える記事だ。

記事によると1944年10月21日に特攻の初出撃。

同25日には米軍航空母艦撃沈という戦果。

しかし、特攻に慣れた米軍の迎撃により、その後は犠牲者が増えるばかりで、日本陸海軍合わせて約2600人の特攻兵が戦死した。

この特攻を異常な「人命軽視」の作戦と強調しているのだが、私はすぐに「ちょっと待てよ」思った。

というのは、私の亡父の遺品の中にあった「戦陣手帳」の記事を思い出したからだ。

兵士一人ひとりに渡された「戦陣手帳」の中の「戦陣訓」(1941年1月8日示達)の「本訓第8」には「生きて虜囚の辱めを受けず」と明記されている。

2600人どころではなく、当時約1千万人いた兵士全員に「死ぬまで戦え、生きて捕虜になるな」という命令が書類で渡されていたのだ。

特攻兵だけでなく、全兵士に命を捨てよと命令されていたのだ。

その結果、1945年に入って各地で「玉砕」と呼ばれる全滅する事態が頻発した。

現在でも日本が攻撃されそうになったら命を捨てる覚悟で反撃する殺人破壊訓練を自衛隊員は米軍と共同でしている。

そもそも人命を軽視しなければ戦争は不可能なのだ。

2024年6月27日 記

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