今日から何回かに分けて沖縄県与那国島の歴史などについて元数学教師として石垣島で37年間教職生活を務め八重山戦争マラリアを語り継ぐ会会長を務めている宮良純一郎さんの寄稿文「歴史地理教育2024年7月増刊号」の一部をご本人の了承を得て掲載します。
宮良さんには先日の石垣島講演会などを企画していただきました。
愛国主義者は国境とか領土とかをとても重要視しますが国境とか近代国家の歴史はさほど古くはありません。
イタリアとスイスを何度か旅して、両国の国境が何度も変わり地域住民がイタリア人になったりスイス人になったりしたことを僕は地元民から聞きました。
ー以下引用―
1)東アジアの玄関口として
南西諸島の軍事要塞化が加速しています。中国脅威,台湾有事への抑止力・対処力の為だと国は言います。
その最前線に位置付けられようとしてるのが台湾まで110キロメートル、国境の与那国島(筆者の郷里)です。
戦後、与那国島には軍事施設はなく、それによって住民の平和と安全に支障が生じることはありませんでした。
ところが、2008年9月、与那国防衛協会の要請を受けた町議会が自衛隊誘致決議をおこなったことから誘致が本格化します。
当時の外間町長は人口減少対策と島の活性化を目的に誘数に奔走し、政府は「沿岸監視部隊」の配備を決定しました。
誘致をめぐり、島内は賛成派と反対派が激しく対立、軍事施設は小さな地域共同体を分断したうえで強行建設され、2016年3月に沿岸監視部隊の開設となったのです。
「安保関連三文書』を節目に、ミサイル基地へと着々と進んでいく状態です。
また、それに追随するかのように町当局・議会は、「与椰国町危機事象対策基金条例』を設定し、国に対して避難シエルターの設置を求めています。
外間前町長は、「沿岸監視隊の誘致はしたがミサイル配備は聞いていない。
穏やかな生活が脅かされそうになっている」と告発し、ある島民は「自治体が解体していく」との危機感を表しています。
かつて国際交流・友好親善であった圏境線は、今や戦火の導入線へと変質しようとしています。
軍事要塞化が進む今日の状況を打関するためには、与那国島が東アジアの玄関口として役割を果たすことです。
とりわけ「台湾との交流」は、そのキーワードでしょう。(続く)
2024年7月22日 記
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