平和な島、与那国島の良き伝統ある住民自治が今、自衛隊駐屯を巡って分断されています。
―以下「歴史地理教育」今月増刊号より与那国ご出身の宮良純一郎さんの寄稿文の引用の続き―
4)歴史、自治の萌芽に学ぶ
(1)同志会から改革村政へ
大正末期からから昭和初期にかけて活躍した同志会という自治的な組織がありました。
今で言う公民館ですが、自治的な側面が強く働き昭和初期に誕生した改革村政につながります。
筆者は初代町長(一九四七年村から町に昇格)を務めた浦崎永昇氏(一八九九年生、一九八〇年没)から同志会について取材(一九七八年)しました。
浦崎は、「同志会の集会には殆どの住民が参加した。政冶、行政の問題も議論、道開け作業、植林、河川作業、祭り、公共のことは何でも議論した」と証言しています。
宮良作(元県議、 一九二七年生、筆者の従兄)は、その取材を基に、ほかにも調査、同志会の実相に迫り、著書『与那国島誌―その近代を掘る』(あけぼの出版、二〇〇八年)に解説を載せています。
宮良作は、一九〇三年の人頭税廃止に伴ってできた「地租条例」が制定された当時の上意下達社会の伝達組織の場を、同志会の原型である「島民集会」とみています。
第一次世界大戦後、経済格差が急速に広がり、青年たちの中から、改革、貧富の格差是正を活発に唱える人々が出始め、それが「島民集会」に影響して、集会の性格が下から変っていったと論じています。
この「島民集会」が発展して一九二〇年一〇月同志会が結成、発足しました。
そんな世論に大正デモクラシーの影響が相まって改革村政が誕生し、自然の地形を利用した貯水池ダム建設、村営の養豚研究所ができました。
2024年7月30日 記
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