―以下小倉志郎さんの寄稿文の引用―
このところ毎日、パリ・オリンピックのニュースにSNSを通じて接している。
我が家では30年ほど前、まだハイビジョンTVが始まる前にTV受像機を捨ててしまったのでTVニュースとしては観ることができない。
幼い頃は、TV自体が無く、オリンピック情報はラジオの実況放送で聴いて、日本選手の活躍にどきどきしたものだ。
モノクロTV受像機が家に入ったのは中学生の頃だ。
そして人口衛星を利用して国際TV実況放送が視れるようになったのは大学2年生以降だ。
大学3年生(1964年).の秋にはカラーTV受像機が普及し始めて、自宅で東京オリンピックのカラー実況放送を観ることができるようになった。
このように通信技術や機器が発達し、便利さが増すにつれてなぜか、オリンピックへの興味が薄れてしまった。
地球上の様々な国々から集まって、スポーツを楽しむ「平和の祭典」という印象がどんどん薄れてしまったことや、商業化が進み、大企業の広告・宣伝の場になり、金の流れがどんどん不透明になったことにもよる。
選手個人やチームが精進をしてその磨いた技を発揮する場はオリンピック以外にもある。
今のようなオリンピックを続けるのか、それとも質素でも良いから、オリンピックの間は全ての戦争を中止するという古代オリンピックの精神に戻るか、真剣に検討すべき時が来たと思う。
2024年7月31日 記
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オリンピックは平和の祭典と言われたが政治的な判断で参加させない国があったり、表彰式では競技者表彰ではあっても国旗を掲揚したりしていかにも国家の競争のようになってしまっています。
更にテレビでは日本人の優勝者ばかりを英雄視して外国人の優勝者の取材などいっさいしないためまるでナショナリストを製造しているように感じます。
更に戦前を少し知っている私は日の丸の鉢巻をした応援団の人や寄せ書きをして選手送った日の丸を見ると
何かぞっとします。