自公トンデモ政府は沖縄を79年前同様、不沈空母に見立ててミサイル基地化し本土の防波堤にしようとています。

しかし最前線与那国島の心ある町民は平和な島、自立の島のビジョンを掲げています。

―以下引き続き「歴史地理教育」今月増刊号より宮良純一郎さんの寄稿文の最終引用―

(2)自立ビジョンを引き戻し、町政運営の基本に

二〇〇四年一〇月三日で、「島の将来を考える町民大会」で、「自立・自治宣言」が採択され、その六項目は次のように述べています。

「私たちは、東アジアの平和維持と国土・海域の平和的保全等に与那国が果たしてきた役割への正当な評価をもとに、日本国民としで平穏な暮らしを実現しながら、平和な国境と近隣諸国との友好関係に寄与する。」

(3)『国境の島守』として生きることを誓う

そして二〇〇五年三月の「与郡国・自立ビジョン」の策定へとつながり、町は台湾とのアクセスを含む国際交流の特区申請をしたのでした。

ところが政府はこれを不可とし、逆に軍事基地を強引に持ち込んできたのでした。

この「与那国・自立ビジョン」は、アセアン諸国の平和・地域づくりの取り組みと呼応できるものです。

「基地」配備によって、反故にされましたが廃棄はされていません。

その理念に立ち戻り、町政の基本をそれに引き戻す、その一点で町民が結集し、分断された地域共同体を本来の姿に取り戻すことです。

5)おわりに

中国を仮想敵国し、台湾宥有事は日本事事だと声高に言う為政者、国政もその方向で動いてるのが空しく響きます。

これまで積み上げてきた平和外交の実績を蔑ろにするものであり内政干渉そのものです。

中国台湾の人たちにとっては至極、失礼千万に映ることでしょう。

私たちが忘れてはならないのは台湾統治の五〇年間での「かかわり」が植民地の文脈の中で語られ、描かれている側面です。

戦争加害の歴史にしっかり向き合うことです。

台湾の人たちは、終戦以降も内戦(一九四五~四九年)に巻き込まれ、苦難な歴史を歩んでいます。

統一か独立かは内政問題であり、台湾の民意は、各種の世論調査から現状維持を望む住民が八割余に及んでいます。

「現状維持で戦争が回避されれば最良の安全保障となる」と、ある軍事ジャーナリストは言います。

軍事によらず平和的な話し合い・外交こそ、今強く求められます。

それが前提で真の交流が推進されます。

与那国町と姉妹都市である花蓮市とは、四〇年以上にわたって交流が続いており、さらに民間交流が進んでいくことを期待します。

ところで去る四月六日に発生した台湾東部沖地震では台湾・花蓬県が襲われ十三名の死亡者が出ており、負傷者は台湾全上で一〇〇〇名余に上がります(二〇二四年四月六現在)。

与那国では早速、救援募金に乗り出しました。 一日も早い復興を願います。

―完―

2024年8月1日 記

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