―以下小倉志郎さんの寄稿文の引用―

 昨日は日本の敗戦記念日。

その日を私は疎開先の長野県辰野で迎えた。

わずか4歳と2か月半の幼児で、戦争をしていたことも、敗戦を迎えたことも意識に無かった。

それから2年後の4月に小学校に入学するが、新憲法はその5月3日に施行(公布は前年の11月3日)された。

即ち、私が受けた教育は、誕生したばかりの民主主義の理想を書き連ねた新憲法の下で始まった。

その後、中学、高校、大学を経て、企業に就職しても日本が民主主義国家であることを疑いもしなかった。

しかし、就職したのが原発メーカーで、巨大で複雑な原発を作るに際し、膨大な数の人間が協力しなければならないのに、最も基本的な設計方針という大事なことが実務担当者たちの知らないところで決められて、実務担当者はそれに従うのみという非民主主義がまかり通っていることを嫌というほど体験し、日本の民主主義は本物ではないとやっと気が付いた。

60歳で定年退職の頃には、米軍の起こした湾岸戦争の戦費を負担させられたり、イラク戦争では自衛隊を戦闘地域に派遣するなど、新憲法の平和主義が反故にされるのを見せつけられた。

昨今は「専制主義」国家に対して、「民主主義」を共通価値観とする国家群で包囲網を作ろうと言う米国に従い、日本中の軍事基地の強化が進んでいる。

ここで言う共通価値観は「民主主義」などではない。

「米主主義」と言うべきものだ。

2024年8月16日 記

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