遠藤はフランス大使館付き武官としてフランス駐在中の1927年6月ジュネーブで開催された米英日3国海軍軍縮会議に杉山元(はじめ)少将(のちに元帥陸軍大将、終戦直後に自決し国防婦人会会長だった妻も後追い自決)の補佐として参加。

フランス陸大在学中にオーストリアの政治学者クーデンホフ・カレルギーの汎ヨーロッパ主義の理論を学び、欧州連合構想に共鳴、帰国し陸軍参謀作戦課に復帰後、完全軍縮案を建白しましたが不採用でした。

遠藤の非戦平和という理想主義の種がこの頃既にまかれていたことがわかります。
1959年から1960年にかけての日米安保改定に反対する民衆の運動「60年安保」が盛り上がっている頃に農業を仕事としていた遠藤が時局の進展に黙っていられるわけはありません。

遠藤は非武装・平和主義者として大活躍をします。

1959年10月関東軍時代の盟友石井四郎(731部隊長で軍医中将)が亡くなります。

石井の生前、遠藤が都内でバッタリ再会し親しく挨拶を交わしたことも日記にあります。

遠藤が保守的な軍人仲間と完全に決別したのはこの頃です。
1959年8月友人たちに送った暑中見舞いを引用します。
―引用―
さて又終戦記念日を迎えますが、今日敗戦の戒めを忘れて際限なく軍隊(自衛隊〔原文の通り〕)を増強しかつ日米安保条約を改定して日米軍事同盟の体制を作ろうとする動きのあることは当時を追憶してその激変ぶりに驚くほかありません。

喉元過ぎれば熱さを忘れるとは申せ終戦当時私共のいだいた悲願は永久に忘れたくないものと思います。

武装に浮き身をやつす代わりに、暑苦しい鎧などかなぐり捨てて平和に徹底した日本国憲法と世界連邦主義の涼風を全世界の逆上している連中に送ってやりたいものです。
―以上―
戦争も知らないくせに今も逆上している改憲派の世襲政治家連中にも送りたい暑中見舞いです。
2024年11月29日 記

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