今日は戦後日本の再軍備に大きな影響力を持った服部卓四郎元陸軍大佐に対する遠藤の批判論です。
服部は僕の父親と誕生日が同じ1月2日、1歳違いの1901年うまれ、死亡したのも1年違い、享年は共に59歳でした。それはさておき
服部は陸士34期で遠藤の8年後輩、辻正信と並ぶ作戦の神様と言われ、参謀本部作戦課長を歴任し戦後GHQ、G2のウイロビーに見込まれて日本の再軍備のため早くも(こんな動きがあったとは驚きですが!)1948年には服部機関を作りました。
しかし各方面から警戒され自衛隊への復帰は叶いませんでしたが服部機関の部下の多くはその後、自衛隊の最高級幹部として幕僚長などを務めています。
―以下日本の軍備を数字で固定化する服部卓四郎に対する批判文の引用―
「服部君は先年、日本週報8周年記念号で『戦争は自然現象であり、その周期は概ね十年』と断定され本誌(大勢新聞?)では『断言するのは禁物』と言われるまでに成長されたことを悦びます。
まだお若いことであるから更に研究を積まれるよう望みます。
戦争を肯定して軍備を論ずる場合、軍備は相対的であることを無視して日本の軍備を三,三,三とか二,二,二とかに固定することは意義のないことでしょう」
―以上引用おわりー
最後の比率のところは陸海空の比率?正直、僕は意味がよくわかりません。
服部の軽はずみな再軍備論に対する遠藤の反論は元の上司にも広がりますがそれは明日からの続きで。
遠藤の「軍備亡国」の思想は雑誌「世界」の1980年11月号に掲載されましたがそれこそ遠藤の最終結論です。
12月2日 記
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