今村均(ひとし)陸軍大将(陸士19期、1886年~1968年)は1932年の第一次上海事変以来、遠藤とともに作戦に協力したごく親しい間柄でした。

太平洋戦争初期にはジャワ上陸作戦で遠藤は空軍を指揮し今村の上陸部隊を支援しました。

しかし戦後、遠藤は民坊団(注:市民による町村単位の防衛隊か?)の設立を提唱する今村大将を批判しています。
―以下引用―
「今村大将の民坊団の提唱は封建時代への逆行ではないでしょうか。

各部落が武装せねばならないような国は野蛮国でしょう。

法治国家とは申されぬような気が致しますのみならず保守、革新の対立が先鋭化している今日、兵器の分散ははなはだ危険であることを知って頂きたい。

武力革命や内乱の原因とならねば幸いです。

今村大将も核兵器の国際管理を主張されるようですが、更に一歩進めて世界連邦の建設にご努力願え得たら幸甚です」―以上引用おわりー

今村はオランダ領ジャワを降伏させたあと穏やかな軍政を敷き温厚な人柄で知られていましたが軍備至上主義からは抜けきれないまま、戦後は防衛庁顧問を務めました。
2024年12月3日 記

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