終戦時に支那派遣軍総司令官だった岡村寧次(やすじ)陸軍大将(陸士16期1884年~1966年)は1945年9月9日南京で中国陸軍総司令官の何応欣に降伏しました。
余談ですが僕は1978年頃にご健在だった何応欣(かおうきん)将軍閣下と台北市内でお会いしました。
岡村の軍備至上主義を遠藤は痛烈に皮肉を込めて批判しています。
―以下引用―
「最後に岡村大将のお説ですが、お気の毒ですが、頭が古いと申し上げる外ありません。
戦死者や遺族に対して再軍備を唱えるよりは戦争のない世の中をつくるよう努力することこそ生き残り軍人の努むべき事と思いますが如何でしょう。
『無武装中立論などというバカげたことを本気で言うなぞは、どうかしている』と申されるが、大将はガンジーをどう見ておられるのでしょうか。
バートランド・ラッセルは『たとえ一時共産国の支配を受けても戦争はせぬ方が良い』と言っておりますし、最近石橋元首相は『東西の対立を緩和することに役立つならば日本は滅んでもよろしい」とまで言っております。私はそこまで思い詰めなくても、日本は憲法の示す通り戦争放棄、軍備不保持の条項を文字どうり実行したならば、日本の安泰はもとより世界の平和に寄与するところ極めて大きいものと確信します」
―以上引用おわりー
遠藤は1933年春の塘沽(たんくー)停戦協定の時、当時関東軍司令官だった岡村と同席しています。岡村は戦後蒋介石と取引して自身は釈放された後、蒋介石の大陸反攻作戦支援のために旧日本軍将校による軍事顧問団(パイ団)を組織して台湾に派遣するなど旧日本軍の反共意識から脱却できない頭の古い人物でした。
2024年12月4日 記
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