今から14年前東日本大震災が発生しました。
僕は震災2年後の2013年3月に大学定年となり4月から現地で被災者の慰問活動を開始しました。
スタートは福島県いわき市の核発被災者が多く住む仮設住宅。
いわき市には福島第一核発地区から被災者が数万人規模で仮住まいしてました。
僕は主に楢葉町からの被災者住宅を中心に「楽団ひとり出前音学会」と称してコンサートを実施しそこから東松山、石巻、三陸町、釜石、気仙沼、大船渡、大槌、遠野、宮古、久慈などの市町村役場や社会福祉協議会とコンタクトを取りながら日程、会場手配、チラシ作り、各戸へのチラシ配り、演奏まで全て一人でやりました。
6年間毎年被災3県を訪れ120カ所以上で2時間から3時間のコンサートを続けました。
車に5種類の楽器を積み込み走行距離は毎回2000キロ超え。
中でも大船渡は思い入れも強く今回山火事被害の大きかった赤崎、綾里、越喜来などの方々の安否が気になります。
僕は延べ2000人以上の被災者から地震津波核発事故後の悲劇をつぶさに聞いています。
あれから14年、政府は核発大事故を忘れたかのように核発再稼働を進めています。
これが自然災害の結果に対する無責任の例です。
1971年7月30日岩手県雫石町の上空で全日空旅客機に自衛隊訓練機が衝突し全日空機の乗客乗員162名が全員死亡しました。
その14年後の1985年8月12日JAL123便が御巣鷹山に墜落しました。
今日から14年前の東日本大震災のことを思いだすと雫石事故から御巣鷹山事故までの14年がいかに短いか判ります。
日航123便の事故はボーイング社の隔壁修理ミスとされ幕引きしましたが実は自衛隊の訓練用標的の誤射によりJAL機の尾翼が損傷し操縦不能に陥った挙句の墜落事故とほぼ判明しています(森永卓郎氏の遺作「書いてはいけない」参照)。
米軍は横田基地への緊急着陸許可を出したのに政府はこれを断って日航機機長に御巣鷹山に向かわせました。
中曽根首相(当時、元防衛庁長官)は雫石に続く自衛隊機のミスによる大型事故を認めることは自衛隊に対する風当たりが強い中、できなかったのでしょう。
関係者は多数現存している筈ですが政府は真相を隠ぺいしたままです。
これが事故も隠ぺいする無責任の例です。事故にも災害にも責任を取らない亡国自民党政権では日本は地獄に落ちます。
一刻も早いく政権交代を。
2025年3月11日 東日本大震災14周年記念日に 記

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