昨日は早朝、名寄から特急列車で約1時間70キロほど南の北海道第二の都市旭川に向かい街宣をしました。

途中、士別、和寒を経て一昨日訪ねた三浦綾子塩狩記念館のすぐ前にある塩狩駅を通過し明治時代に列車の連結機が外れてしまい峠の下り坂をひとりでに後退し始めた列車から線路に飛び降りて自分が轢かれることで列車を止めて乗客の命を救った29歳のクリスチャン青年の実話を書いた三浦綾子さんの小説を思いだしました。

旭川では真夏の気温となり最後の街宣活動の東川「道の駅」では温度計が30度を示していました。

旭川では旭川駅前で第1声を上げましたがその後は車で走りながら私が歌ったり演説する流し街宣を中心に行いました。

特に自衛隊旭川駐屯地では広大な基地の周辺を3周回りながら自衛隊員に国際災害救助即応隊ジャイロの創設について説明を繰り返しました。

東川道の駅気温30度の中反戦平和音頭熱唱

午前午後と4カ所、ス-パーの前等で私の政策

➀米軍撤退

②全原発即時廃炉

➂農家所得補償とジャイロの労働力支援による農業の復興、その結果として食料自給率100%の実現

を訴えました。

➀の米軍撤退には勿論米軍が日本を護る為に駐留していないこと、犯罪の温床であることもありますが何より対日政策要求の場「日米合同委員会」のアメリカ側代表がすべて米軍のトップである事を問題視しての提起です。

背後に勿論アメリカ政府があるにしても駐留米軍を通して日本の政治を支配している事実があるからです。

日本の自主独立のために米軍の駐留は絶対に有ってはなりません。

21年前に私が当時(今も?)凋落の一途をたどっていた社民党の2004年の参院選で起死回生を願って作詞作曲した「反戦平和音頭」を当時はお蔵入りしましたが今回自分が立候補することで街宣車のスピーカーから自分のオリジナル曲を流しながら立会演説会場でも自ら歌い街宣できるとはようやく夢が実現しました。

一昨日の名寄の集会では私のおしゃべり会と生演奏を聞いた参加者から

「花岡さんはテレビに出演しないのですか?」と聞かれました。

同じ質問は前にも何度かされましたが、我ながらトークと音楽で観客を和ませ楽しませる話術は並の芸人に負けないと自負しています。

銀行の行員研修所講師、女子大での講義、カナダでのラジオディスクジョッキー、東北震災慰問コンサートなどで経験だけは豊富なのです。

参加者から「運動の勇気をもらった」「元気になった」「来た動機は連れ合いに誘われてイヤいやだったが、来てみたら本当に良かった」とわざわざ言いに来るご婦人が何人もおりました。

この調子で選挙戦が進められ、いつかマスコミに取り上げられたなら追い風が吹いて話題が話題を呼び面白い選挙になるのではないかと想像したりします。

逆に特別な風が吹かない限り私のように組織が無いに等しい候補者が選挙を勝ち抜くのは難しいのではないかと思います。

1週間ぶりに帰宅したばかりですが今日は午後1時半から与野市で新社会祭の講演会を行いますのでお近くの方はどうぞお出で下さい。

2025年5月31日 記

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