―昨日の続きー
非武装中立の主張は社会党内に異論もあり決して一枚岩ではなかったことが1998年9月20日の日経新聞「私の履歴書」の非武装中立論に掲載された記事で分かる。
偶々切り抜いて保存していたので抜粋して引用する。
―引用―
石橋構想が蘇ったのは昭和44年1969年12月の総選挙直前であった。
私は国際局長だったが(注:彼は台湾生まれ、台北高等商業(現台湾大学)卒で軍隊経験あり)安保条約の期限10年の節目に行われる選挙の争点は必ずや安全保障問題になろうという想定の下に構想の成文化を依頼された。
これが後の私の著書「非武装中立論」のベースになり委員長就任にあたって提起した違憲合法論につながった。
「石橋構想」の最後の仕上げという形で提起したのが「違憲合法」だった。
「違憲合法論」はもともと小林直樹東大教授の提唱したもので「自衛隊は違憲の存在であり解消を目指すべきものだが、国会の多数決による合法的所産でもある。
従ってそうした矛盾を持った存在であることを認め、合法的な事実を合法的に変えて憲法の趣旨に沿うべく改革縮小して行くべきだ」というのである。
私は「月刊社会党」の紙上で小林教授と対談した際にこの考え方に同調を表明し、直ちに中央執行委員会において機関で論議するよう要請した。(略)
―以上引用終わりー
昨日は体調を整えるために休養させてもらいました。
本日午後1時から千葉駅中央口、ビックカメラ前で街宣予定です。
―続くー
終了後、私は静岡県三島に移動します。
2025年6月29日 記
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