昨日千葉市の講演会は前日までの猛暑も収まり好評のうちに終えることができました。

背後の横断幕はずばり「自衛隊も米軍も日本にはいらない」、

その両脇に「戦争準備の自衛隊を災害救助隊に衣替え」の幟を立てての講演です。

初めての試みとして開始間もないタイミングで参加者同士で丸腰国防論をについて語り合う時間を10分ほど設けました。

約1時間の質議応答時間は活発な議論のうちに終わり用意した著書は完売し注文に応じきれませんでした。

かなり遠方から来られた方々には心から感謝申し上げます。

8月、戦争月間最終日の本日は本物の軍人遠藤三郎の戦後の活動の締め括りとして遠藤三郎の日米安保条約改定当時の動きを紹介します。
遠藤は1959年11月10日付の新聞論説に「岸内閣と伊勢湾台風」と題する岸内閣退陣要求を発表、「台風国である日本は軍備増強でなく治山治水を優先すべき」と主張しました。

「ミサイル防衛より防災」と主張する私の主張と全く同じです。
その後1960年5月になると東久邇稔彦元首相の呼びかけで元首相の片山哲、石橋湛山の3人が混乱した政局の収拾策について協議しました。

その後の6月7日に、この3人が会合をして岸首相の即時退陣がこの際先決であるという方針で意見が一致しました。

その日この3人の元首相は東京会館に集合しその席に遠藤三郎も同席しました。

その日どのような意見が交わされたかは遠藤の日誌に書かれています。

日誌によれば6月7日午後、東京会館にて東久邇、片山、石橋元三首相と宇都宮徳馬代議士を交えて懇談(岸総理に対する辞職、解散を要求。解散後に召集される新しい国会において安保条約とアイゼンハワー大統領訪日問題を議論すべきであると結論)岸に勧告する時期を相談、宇都宮氏と片山氏は機の熟すのを待つべしとの意見に対し遠藤は直ちに実行すべきと提案し結局東久邇も石橋も賛成、片山、宇都宮氏も賛成した、とあります。

そして遠藤が代表して岸首相を官邸に訪問して勧告文を届けました。

岸首相とは面談できませんでしたので椎名悦三郎官房長官に勧告文を渡しました。

遠藤が軍需省の航空兵器総局長官時代に岸は次官、椎名は他局の長官でした。

東久邇稔彦元首相は敗戦時陸軍大将で遠藤とは大変親しい間柄であったとは知っていましたが片山哲、石橋湛山などとも一緒に親しく会談する間柄とは知りませんでした。

私は偉大な軍備全廃論者、遠藤三郎が単なる元軍人のエリートではなく当時の政局に重要な役割を果たしていたことを故吉田廣二(ひろじ)(廣にひへん、がつく)著「戦争の真実」【22世紀アート】で初めて知りました。

憲法が改悪されるかもしれず戦争の足音が背後に近づいている2026年の今こそ私たちは戦争根絶の道、非武装中立日本の実現を世論とするため戦争特集を8月に限らず、年間通じて

毎日でも戦争を振り返る日にしなければいけないと思います。

明日は10万人以上の犠牲者を生んだ関東大震災の103回目の記念日です。

自衛隊も米軍もなくして防衛省を防災平和省に,自衛隊を国際災害救助即応隊に衣替えする政策が実現すれば日本は自然災害に安心安全、戦争の心配のない世界唯一の国に生まれ変わります。

是非本書をツールとしてこの政策を国民世論にし平和と防災を同時に実現させましょう。

2026年8月31日 記

\この記事が気に入ったらぜひSNSでシェアしてください!いいねボタンも押して頂けるとうれしいです!/