60年安保改定前後の遠藤三郎元陸軍中将

遠藤は1959年11月10日付の新聞論説に「岸内閣と伊勢湾台風」と題する岸内閣退陣要求を発表、「台風国である日本は軍備増強でなく治山治水を優先すべき」と主張しました。 「ミサイル防衛より防災」と主張する僕と同じです。その後1960年5月になると東久邇稔彦元首相の呼びかけで元首相の片山哲、石橋湛山の3…

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本物の軍人はこう言った(3)

終戦時に支那派遣軍総司令官だった岡村寧次(やすじ)陸軍大将(陸士16期1884年~1966年)は1945年9月9日南京で中国陸軍総司令官の何応欣に降伏しました。 余談ですが僕は1978年頃にご健在だった何応欣(かおうきん)将軍閣下と台北市内でお会いしました。岡村の軍備至上主義を遠藤は痛烈に皮肉を込め…

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本物の軍人はこう言った(2)

今村均(ひとし)陸軍大将(陸士19期、1886年~1968年)は1932年の第一次上海事変以来、遠藤とともに作戦に協力したごく親しい間柄でした。 太平洋戦争初期にはジャワ上陸作戦で遠藤は空軍を指揮し今村の上陸部隊を支援しました。 しかし戦後、遠藤は民坊団(注:市民による町村単位の防衛隊か?)の設立を…

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本物の軍人はこう言った

今日は戦後日本の再軍備に大きな影響力を持った服部卓四郎元陸軍大佐に対する遠藤の批判論です。 服部は僕の父親と誕生日が同じ1月2日、1歳違いの1901年うまれ、死亡したのも1年違い、享年は共に59歳でした。それはさておき服部は陸士34期で遠藤の8年後輩、辻正信と並ぶ作戦の神様と言われ、参謀本部作戦課長…

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本物の軍人の言葉(5)

1960年前後に再軍備論を唱え始めたかつての軍人時代の上官や同僚への反駁文を少しずつ紹介します。まず、ひげの荒木貞夫元陸軍大将です。(1877年~1966年、陸士9期、犬養首相の下で陸軍大臣を務め文部大臣も務めたバーナードショーの研究家) 遠藤が関東軍作戦主任参謀時代に熱海で保養中の荒木に熱河作戦案…

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本物の軍人の言葉(4)

60年安保の前後、知識人の一部からも、なし崩し的解釈改憲論が出てくるようになると遠藤はことごとくこれらに対する反論を執筆しました。まずは遠藤より4歳年下で憲法調査会会長高柳賢三【1887年~1967年】東大名誉教授に対する反論から引用します。―引用― 高柳氏の言われる 『国際紛争を解決する手段として…

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