―以下本日担当小倉志郎さんの寄稿文の引用―

 1959~1960年は、私が高校卒業後の一浪時代だった。

丁度、日米安保条約改定をめぐり国会周辺・首相官邸前で大規模な反対デモが行われ、デモ隊と機動隊の間で双方に多数の負傷者が出るほど激しい闘いが繰り広げられていた。

マスメディアも大きく報道していたが、当時の私はノンポリで高校のキャンパスの端に立って、谷間の向こうに見える首相官邸の門を乗り越えようとするデモ隊と機動隊がせめぎ合う叫び声や騒音を聞いていた。

次の大学入試が済んでいなかったから、1960年の1月頃だったか。

結局、同年5月20日衆議院で与党のみでの強行採決、参議院では議決のないまま6月19日自然成立という経緯で改訂版日米安保条約は成立してしまった。

この安保騒動の責任を取って岸信介首相は退陣したものの、現在の米軍による占領状態になるレールが敷かれたのだ。

「歴史に“if”は無い」と言われるが、もし、あの時デモ隊が首相官邸の門を乗り越えて侵入していたら、デモ隊は岸首相をどうしようと計画していたのだろう。

岸氏に対して暴力を加えていたのだろうか。

そして、即退陣を約束させようとしていたのだろうか。

今、日本の政府・国会・司法はグルになって米軍と共に戦争ができるように軍備増強を進めている。

大手マスメディアも政府に忖度した論説や報道をしている。

戦争を避けるためにはもう政権交代しかない。

安保闘争のような暴力的な手段ではなく、非暴力的に政権交代を実現するには選挙で勝つしかない。

そのことを主権者=国民=に一人ひとりが全力をあげて伝え広めよう。

2023年7月7日 記

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