―以下小倉志郎さんの寄稿文の引用―

 「誤解」とは、話や文章の「意味を取り違える」ことだ。

即ち、誤解する主体は話を聴く人、あるいは、文章を読む人であり、一般に誤解が生じる原因や責任は情報の発信者ではなく、情報の受け手にある。

もちろん、発信者の話し方や書き方が下手なために誤解される場合もあり、その場合は両者に原因や責任があると言えよう。

しかし、昨今の世相を観ていると、そんな生易しい誤解ではなく、受け手が誤解するように意図的に情報に細工をするケースが目立つ。

一つの例は新型コロナワクチンの場合だ。

我が家にワクチン接種券送付の封書が届いたが、その中の説明文の中に目立たないように「感染予防効果はまだ不明」「副反応として死亡する場合もある」「接種は強制ではない」と記載があった。

しかし、一方、テレビや新聞など大手マスメディアでは連日、「感染拡大を防ぐために全員が接種することが望ましい。

6~7割の人が接種すれば感染の拡大は防げる」と医学界の権威者たちの解説を報道していた。

結果として、多くの老若男女が副反応によって死亡するという悲劇が生まれてしまった。

現在、犠牲者の遺族や重度の後遺症の被害者による集団訴訟まで起きている。

接種率を高めるために、国民がワクチンは安全であると「誤解」するような情報の流し方をした結果である。

この誤解を誘導するような手法は原発利用や軍事力増強にも使われている。

その手に乗らないようにお互いに注意し合うことが大事だ。

2024年5月3日 記

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