―以下小倉志郎さんの寄稿文の引用―

 ここで「幸福論」を説くつもりはないし、私にそんな能力も無い。

ただ「幸せだな~」と誰もが感じることについて想いついたことを記すのみ。

それはこういうことだ。

「幸せ」を感じることができるのは個人であって、国家、企業、組合、政党、家庭などの組織ではない。

組織を構成するのは個人ではあるが、どんな組織であれ、個人が持っているような感情はない。

「日本人は幸せだ」という言い方をしても、日本という国家の感情ではなく、多数の個人の多彩な感情の集合を平均的に、あるいは、俯瞰的に表現したものでしかない。

個人が国家に求めているのは「自分を幸せにしてくれる政治」だ。

国家が尊重すべき価値で個人の幸せを超えるものはない。

「国家に命を捧げることができる若者がいてほしい」と演説した自民党の有力政治家や、「あなたは国のために戦えますか?」などと問う右翼論客が居るが、本末転倒の典型だ。

こういう勢力が政権を握っているのが日本である。

戦争に巻き込まれたなら、外国の人々と殺し合うことなる。

そんな状況下では誰も「幸せ」を感じることはできない。

今、国のために命がけで戦うことが立派な事だということを国民に刷り込む宣伝が、政府によってあらゆる手段で行われている。

自分の幸せとは何かをしっかり把握していない人々がこの宣伝に影響されて、現政権を支えている。

これに対して私たちがすべきことは「戦争では「幸せ」を守ることができない」ことの強力な宣伝だ。

2024年4月21日 記

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