―以下小倉志郎さんの寄稿文の引用ー

 「隠れキリシタン」と言っても江戸時代の話ではない。

私は一人デモを約7年半続けている。

大きな字でメッセージを手書きしたプラカードを吊るしたりゼッケンを付けて、家を出てから帰宅するまで、街の人々の間を歩くだけだ。

これまで、大勢の人々から声をかけられた。

後期高齢者の私がトボトボ歩いていると、励ましてあげようと想ってくれるのだろう。

代表的なのは「私も同感です」だ。

それに伴う言葉が多様である。

「ありがとうございます」「頑張ってください」が多い。

同じように多いのが「勇気が無いので私にはできない」「やりたいけど、まだ私にはできない」だ。

一方「効果が無いから止めなさい」という否定的なコメントは皆無だ。

賛同してくれる人が多いのに、「私もすぐに始めます」と言ってくれる人に街頭で出会ったことがないのがとても残念だ。

自分の意見を公の場で提示することを躊躇する生活習慣が身に付いてしまっているのだろう。

自分の本心を隠すことによって周囲の人々から変人扱いされないようにという気持ちは解らないでもない。

私はこういう人々は現代の「隠れキリシタン」だと思う。

私は言いたい。

今は昔のキリシタンのように磔刑にされないし、逮捕もされないのだから、「隠れなくて大丈夫なのだ」と。

さらに「一人デモは、同志ではない人々や政治に無関心な人々にメッセージを伝えるのに最も有効なのだ」と。

2023年12月7日 記

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