―以下小倉志郎さんの寄稿文の引用―
「外国から攻められたら国を守るのは当たり前だ」という言葉を良く聞くが、「国を守る」ということの意味は今一はっきりしない。
「守る」という動詞がついているのだから何らかの行動を意味している。
一方、守る対象は「国」、即ち「国家」だ。
うろ覚えだが、故・安倍晋三氏が生前、某大学での講演の中で学生たちを前に「日本を守るために命を捧げる覚悟のある若者がほしい」と述べたというニュースを観た記憶がある。
憲法を「改正」して正規軍を持つことを目標にする政党の議員だから、本音をしゃべったのだろうが、そんな恐ろしい考えはそう簡単に世論には受け入れられないだろうと思っていた。
ところが昨今の日本の状況を観ていると、南西諸島のミサイル基地化工事は進むし、年間の軍事費は倍増することへの世論は50%以上が肯定的で、実際に国民の命が奪われる戦争という災害が起きる可能性がどんどん高まっている。
私たちのご先祖である縄文人たちが暮らしていた5000年以上前の日本列島には政府も無ければ国家も無かった。
日本が近代国家としての形を持ったのは明治維新以後、即ち、ほんの150年ほど前だ。「国」が無ければ私たちが生きて行けないなどということはウソ八百だ。
「国」など無くても人間が生きて行けることは歴史上実証済だ。
「国を守る」ために戦争などしてはいけない。
2023年12月11日 記
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