―以下本日担当の小倉志郎さんの寄稿文引用―

 徳島県の阿波踊りには「踊る阿呆に、見る阿呆、同じ阿呆なら踊らにゃ損々」という歌詞がある。

「さー、みなさん、道端で観てるだけでなくて、一緒に踊りましょう。

踊りは楽しいから、踊らないのは損だよ」と言う意味だ。

同じことが一人デモにも言える。

「デモる阿呆に、見る阿呆、同じ阿呆なら、デモらにゃ損々」である。

いつからか知らないが、「デモる」が動詞として広辞苑に載っていることにびっくりした。

政治家たちだけでなく、新聞やテレビも頼りにならないとわかったなら、私たちに残された政治改革のための方法は、主権者である国民、即ち私たちの仲間への「直訴」である。

直訴の相手は江戸時代なら徳川将軍、明治時代なら天皇で相手が一人だから、相手を選ぶのに苦労はない。

しかし、現在は主権者が不特定多数の国民だから、相手を一人に絞る訳には行かない。

そうかと言って、主権者全員を相手にする訳にも行かないし、「じゃー、止めるか」と言う訳にも行かない。

先ずは、身の回りの見ず知らずの人々に根気よく「デモる」しかない。

その結果、「デモる」人が一人二人と増えてくれば、後は加速度的に一人デモをする人口が増えるだろう。

いわゆる連鎖反応である。

原子炉ではウランの核分裂が連鎖的に続く状態を「臨界」という。

一人デモも臨界までもう一歩だ。

楽しみながら政治改革ができる一人デモをやらないのは損だ

2023年3月25日 記

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