自衛隊の本来の任務は自衛隊法という法律の第3条に記されています

第3条 自衛隊の任務

1)国の平和と独立、国の安全を保つため我が国を防衛することを主たる任務とする

2)必要に応じ、公共の秩序の維持に当たるものとする と定めています。

直接的に国民の生命・財産を守るのは警察の仕事であり自衛隊ではありません。しかし政府与党の説明はいつも決まって国民の生命財産の安全というが国が独立していて始めて成り立つのだ。したがって自衛隊が国民の生命と安全を守っているのだ、と当然のことのように語り我々も何となくその説明に納得しています(本書122ページ)

軍隊「自衛隊」は平時、何もなければ災害救助活動など国民の生命・財産の保持のために働くこともありますが、いざ戦争となれば国民の生命財産などは二の次三の次で現に存在している国家統治機構を維持することが最大・最終の目的となる組織です(本書169ページ)。

私は2006年の8月15日東大安田講堂で開催された「8月15日と南原繁を語る会」の講演会(総合司会立花隆氏)で語られた事実を忘れることができません。今日の若い世代に伝えたい(6)では恐らく若い世代は勿論、中高年の皆さんもほとんど知らないと思われる終戦の年に東大で起こった歴史的秘話を紹介します。当日は講演の中で述べられた秘話ですがこの顛末は1978年、原書房から出版された石井著「東大とともに五十年」の「東大をどうか我々の墓場に」に記録されています少し長いですが一部を抜粋します。

昭和20年7月4日戦況ははなはだ振るわなくなって、敵軍の本土上陸、本土決戦という噂が広まる頃、東部軍管区旅団長の重松少将が東大の内田祥三総長(当時)に面会を求めてきた。重松は内田に「まだ未公表であるが今度帝都防衛司令部が設けられ自分たちは本土決戦に際して帝都防衛の任務にあたることになった。機密事項であるが敵が東京へ上陸して来るとなった場合わが軍では、墨田川、荒川などを堰(せ)き止めてその上流で堤防を切る(堤防を決壊させて水を溢れさせることです)ことにしている。東京の下町―浅草、下谷、本所、深川、日本橋、京橋、神田などはすべて水漬けとなり、上野公園の西郷さんのあたりから、東大の本郷台などが丁度波打ち際になって防衛の第一線として極めて重要な地点になる。自分たちはこの東大の建物を全部、帝都防衛隊司令部用として拝借しこの土地を自分たちの墳墓にする覚悟である。是非防衛司令部に貸して欲しい」と。ビックリですね。海抜の低い下町に住む東京都民(いくら3月10日の東京大空襲の後とは言え住民がいない筈はありません)の命を犠牲にして日本の国(天皇制、国体)を守るのだ、というのです。もちろん東大側は内田総長が(法学部長は南原繁氏)キッパリと断りました。これが軍隊という組織の実際の姿、実相です。現在災害救助にも活躍し国民に広く親しまれている自衛隊ですがいずれ同様の局面になれば国家のために国民の命を犠牲にすることをはばかることなく同じ道を歩むでしょう。

ちなみに東京府が東京都に変わったのは1943年7月1日ですが、東京府と東京市を廃止し東京都とした理由は二重行政の問題もありましたが戦争遂行上中央集権化が必要だったからです。それまでの区の自治権はかなり縮小されました。近年の大阪都構想に対する府民の選択を評価するとともに大阪の維新の若い首長にはきちんと歴史を学び丁寧な説明をして欲しかったと思います。

2021年8月26日 今は亡き知の巨人立花隆さん司会の15年前の講演会を思いだしながら 記

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