この正確な判断など誰にもできない。双方にそれぞれ言い分があるからだ。

交通事故の追突事故でも、ぶつけた車とぶつけられた車の双方に言い分がある。前の車の運転手は自分が止まっているところに後ろからぶつけられたと言い、後ろの車の運転手は前の車が急に止まったからぶつかったと。しかし追突は過失による事故であって故意ではないしどっちが加害者になってもそれで国家の大事にはならない。

しかし戦争は過失で起こるものではない。権力者が故意に起こす犯罪だ。だから先に手を出した方が悪い。ウクライナ紛争ではロシアが先に手をだしたと言われているが、どう見ても外からはそう見える。

これまでの戦史を振り返ればどちらが先に仕掛けたのか原因を作ったのかあいまいなケースが大半だ。しかし古来双方ともに相手が先に、とか相手が原因を作ったのが悪い、などという。

そして戦争が終われば多くの場合勝者が敗者を裁き判決で、負けた国が一方的に戦争責任を押し付けられ罪をつぐなわされることになる。敗者の恨みは戦後もずっと残る。

日本には戦国大名が分国法で制定した「喧嘩両成敗」の考えがあるがそれなりに正しい裁きだ。

「喧嘩を売られても喧嘩にのらない、やられてもやり返さない」を貫けばどちらが悪いかは明確になる。

ウクライナが完全非武装・中立国で無抵抗であったなら常任理事国の5大国も安保理決議を棄権できまい。ロシアに100%非があることが一目瞭然になるからだ。

日本がウクライナの轍を踏まぬためにも近隣諸国から挑発があっても乗ってはならない。まして近隣諸国に脅威を与えたり逆に挑発しては絶対ならない。

なのに日本政府、防衛省が今すすめている自衛隊基地・米軍基地の新設や強化、攻撃兵器の配備・訓練などはこれと真逆の行為だ。

ウクライナに対するロシアの侵攻を見て日本の自衛隊の敵基地攻撃力の保有や、核兵器保有が必要などと言い始めた政治家や論者がいるようだ。

彼らは戦争の結果日本がどうなったか、戦争が領土・国民にどんな犠牲、爪痕を遺したか過去の歴史から何も学ばない人々である。

このHPのタイトルや私が作詞作曲した新国歌(案)のタイトル「美しい日本」は喧嘩を売られても絶対受けて立たない非武装中立を目指すことで実現する平和な「美しい日本」だ。

安倍元首相も似たような言葉を使ったらしいが完全に誤ったパクリだ。美しい、の意味を取り違えている。

20223月6日 記

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