昨日に続き本日も元東芝原発技術者の小倉志郎さんの担当です

―以下小倉さんの寄稿文の引用―

 「非武装が良い」と言うと、「無抵抗だったら、我々はなぶり殺しされるに決まっている。それでも良いのか?」と真面目な顔で反論する人が多い。

「国際法によれば非戦闘員や降伏した戦闘員を攻撃することが禁止されている」と言っても「いや、我々の敵は国際法など守らない」と再反論をする。

法律論が通じないとしたら、人間固有の感情論ではどうなるだろう。

武力ではまったく抵抗しない相手を、私たち人間は殺したりできるだろうか?

即ち、相手が自分を傷つけたり、殺したりする意志を持っていないことがわかっているのに、そういう相手を殺すことができるだろうか?

「私はそういうことができないから、相手国の兵士もできないだろう」と言えば、「非武装」に反対する人は「某相手国の人間はまともな人間ではないから無抵抗の人間だって平気で殺すに決まっている」と反論をする。

ここまで来ると「非武装」に反対する人が反対する根拠は自分自身の「人間不信」であることがはっきりする。

先の大戦で沖縄の地上戦において、ガマに隠れていた住民が連合軍の「降伏して出て来い!」という警告に対して、白旗を掲げて出てきた住民は助かった。

しかし「鬼畜米英」という政府の宣伝を信じて出て行かなかった住民は投げ込まれた手榴弾や火炎放射器で皆殺しにされた。

人間性を信じた住民は命が助かったのだ。

「非武装」を良しとするか悪しとするかも人間性を信じるか否かにかかっていることがわかる。

2022年5月24日 記 小倉志郎

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