11月8日の沖縄最後の日に私は1970年12月に起きたコザ騒動の現場を確認に行き「ヒストリート」と言うコザ騒動の勃発地、胡屋,そして嘉手納基地の歴史展示館を見学してから空路長崎に向かった。

9日は早朝8時過ぎの電車で川棚駅で下車、地元の同志のお二人の案内で石木ダム、そして午後から佐世保を視察した。

石木ダムではダム水没に備えて工事中の県道付け替えを座り込みで阻止している人たちに少額だがカンパをして激励して来た。

50年に及ぶ反対闘争の中で土地収容に応じて街に近い平地にダム御殿を構えている元住民もいる。

しかし13世帯53名はずっと土地収容に応じず渡されたお金は供託して石木ダム建設絶対反対同盟として団結している。

蛍が飛び交い風光明媚な郷、かつては仲の良かった住民同士がお金の力で分断された。

長崎県や佐世保市が言う県北の水不足など全くのでっち上げ、と座り込んでいる農民は断言する。

どうやらハウステンボスの辺りにカジノを誘致したい思惑を隠して県側がダム建設を強行しているとの噂もある。

誰でも入れる川原(ごうばら)公民館には過去の反対運動の歴史を示す写真パネルが保存されていて中には小学生までが鉢巻きをしてダム反対を叫んでいる写真を見つけた。

佐世保市内に移動して山の上で個人で運営している平和祈念館「天望庵」も訪れたが展示が素晴らしい。

残念だがコロナもあり来館者は細る一方だそうだ。

佐世保市はかつて旧帝国海軍の軍港で海軍造船工廠が今では佐世保重工と名前を変えた。

海軍時代の巨大クレーンを今でも使って造船している。

米海軍・自衛隊が広大な地域に駐屯し今でも日本有数の軍都だ。

夜6時から市内の目抜き商店街で「9の日の座り込み」に参加した。

9と言っても9条の9ではなく長崎原爆投下の記念日8月9日の9だ。

当日は今月初めに佐世保中心部の日本一長い商店街と言われるアーケードを自衛隊と米軍が軍服・軍装備でパレ―ドをしたことへの抗議の座りこみだ。

途中で私もスピーチを頼まれ拙著を紹介した。3年以内に軍隊はなくす、と。

長崎県内では随所で9の日の座り込みを続けているそうだ。

長崎のホテルに帰ったのは日付が変わる少し前、長い1日であった。

2021年11月23日 記

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