―以下本日担当の小倉志郎さんの寄稿文の引用―

 スマホゲームに人気がある。

今は電車の中で座っている乗客の姿を見ると大体9割の人がスマホを持ってゲームをしている。

残りは本を読むか寝ている人だ。

勝つか負けるかハラハラするスリル感がゲームの魅力なのだろう。

私は電車内では座らない習慣があり、たまたまゲームをしている人のスマホの画面を覗き見する時があるが、画面の中では銃を持った主人公が次々に現れる敵を銃で撃ち殺し、進んでゆく。

銃を打つたびに画面に火花が光る。

画面の景色も人物もデジタル技術の進歩で実に鮮明でリアルなことに驚かされる。

これではスマホのゲームを始めたら止められなくなる。

ゲームの中での戦闘に決定的に欠けているのは、殺されるのは敵方の戦闘員であって、一般の非戦闘員の市民は出て来ないこと。

また撃たれた敵の戦闘員のもがき苦しんだりする姿や断末魔の声は聞こえないことだ。

これでは戦闘の残酷さや悲惨さは伝わって来ない。

敵を上手に倒すことの快感を得てゲームを終えるだけだ。

実際の戦争はゲームとは大違いだ。

兵器が発達する以前の昔の戦争では、戦線を挟んで白兵戦が行われたので犠牲者のほとんどは兵士であった。

しかし兵器が発達した第一次世界大戦以降は、非戦闘員の市民の犠牲者の方が兵士の犠牲者を上回るようになった。

今回日本の抜本的防衛力強化,敵基地攻撃能力の保有を主張する政府・与党国会議員やそれに賛同する国民自身からも戦争になれば必ず多くの犠牲者が出る。

軍備を実際に使うことになる戦争をゲーム感覚でとらえているとは実に恐ろしい!

2022年12月18日 記 小倉志郎

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