現在、九州・沖縄南西諸島へのミサイル軍事基地建設、自衛隊部隊の駐屯の動きが急ピッチで進んでいる。

これは台湾有事を見据えて自衛隊が米軍と共同して中国と戦うための準備だ。

中国が軍事力で台湾の統一を強行することに対する抑止力と言っているが全く抑止力にはならない事、米中戦となれば自衛隊は必ず戦争に巻き込まれ日本本土には中国のミサイルが飛んでくる危険が大きい事について2回に分けて書く。

そうならないために抑止力としてミサイル基地や自衛隊の駐屯、日米合同軍事訓練が必要だと考えている人が一人でもいたらすぐにも誤りに気付いて反対に回ってもらいたい。

戦後、台湾に支店を持っていた都市銀行は日本勧業銀行(現みずほ銀行)だけであった。当時の豪壮な建物は今でも残っているかもしれない。

台湾の日本商工会議所的な組織のトップには代々、勧銀台北支店長が就いていた。

その当時私は台北支店を担当しており何度か台湾を訪れている。

1979年頃台北支店の周年行事に際し当時台湾と断交していたため頭取は出席を控え専務(のちに副頭取)が名代として訪台し私が随行した。

まだ国民党の蒋経国総統が独裁中で戒厳令下だった。

私は専務と共に国民党の長老、蒋介石の右腕で共に行政院長(首相)経験者の何応欣(陸士28期)と張群のお二人を表敬訪問したことを思いだす。

その後1987年に戒厳令は解除されて民主化が始まった。

私が担当していた当時の台湾は本省人(元々台湾にいる人たち)と外省人(中国本土から戦後台湾に逃れて来た人たち)の反目も色々あった時代だ。

「大陸反抗」のスローガンのもとにあった国民党台湾と共産党中国の国境、金門海峡では砲火が絶えなかった。

最終的に中国人民解放軍による砲撃が停止したのは1979年1月1日の米中国交樹立時である。(敬称略)

―続くー

2023年1月9日記

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