石を投げる―早乙女勝元と映画『軍隊をすてた国』
早乙女愛(映像編集者)

 『軍隊をすてた国』というドキュメンタリー映画を作ったのは、かれこれ四半世紀前の話である。この大それたタイトルの企画者は私ではなく、他ならぬ父、作家の早乙女勝元である。1999年の暮れに、衆参両院に憲法調査会が設置されるという報道を聞いた父が、改憲反対の一石を投じるために企画した。
 父は作家であり、運動家であった。運動家というのは職業ではないから、仕事と生活の境目がなく、オンもオフもなく、頭の中は24時間営業だ。それだけでも家族にとってはじゅうぶん厄介なのだが、「博打打ち」のような性分も手伝い、社会に向かって一石どころか、何石も投げた。遠くまで飛んだものもあれば、近くに落ちたものもある。
 1970年に父が中心となって発足した「東京空襲を記録する会」は、東京都知事に陳情を起こし、都の援助を取り付けたことから始まった。以来、50年間におよぶ運動が作家人生を決定づけるほど、その一石は重かったはずだが、父は並行して別の一石も投じた。
 投じた、というのは比喩ではなく、物質的な意味もあり、つまり私費を投じて企画を実現させることに執念を燃やしていったのである。映画製作がそれである。

2018年 撮影:照屋真治氏、写真提供:早乙女愛氏

 幼少の頃から父のライフワークに大いに巻き込まれて育った私は次第に殺気を感じ、18歳になるやいなや兄弟より一足早く家を出たが、その間、父は劇映画、アニメ映画と、出版以外の分野でも獅子奮迅のごとき発信力を展開していった。どれも戦争がテーマの作品だ。
 1990年代前半、良くも悪くも戦争の記憶と一体だった昭和天皇の死去後、世の中から戦争が急速に忘れられていく平成時代の焦燥感があったのだろう。尊い信念とは引き換えに、惨憺たる興行成績を目の当たりにしたはずの父であるが、無謀な試みはつづいた。
 1996年に取材で訪れた中米のコスタリカ共和国を舞台に、ドキュメンタリー映画の企画を立ち上げたのがその3年後。憲法九条を持つ日本が「普通の軍事大国」になりさがっていくのを、ただ口を開けて見ていたらダメだ、という明確な意図があった。すでに東京で社会人になっていた私はいやな予感がして、しばらく旅に出た(今度は国外逃亡)。ほとぼりが冷めたと思った頃に帰宅すると、企画がちょうど暗礁に乗り上げたところだった。遠くに投げたつもりの石が空中分解したのだ。ほかの兄弟たちはとっくに家を出て世帯を持ち、かくして家に取り残されたのは末娘の私であった。親の運動と無縁で暮らすこと、いや、呼吸することさえ、わが家では不可能なのだ。
 逃げ遅れた私の最初の仕事は、企画が空中分解したあとの、残骸の回収と処理である。企画の頓挫と制作委員会の解体、募金者と関係者への説明、新たな制作体制と制作スタッフの変更。すなわち「仕切り直し」の係だった。4年間の会社員生活を辞めたばかりの、れっきとした暇人の娘には、うってつけだと思ったのだろう。その流れで私は制作会社を立ち上げ、企画当初とは似ても似つかないかたちで『軍隊をすてた国』は仕上がった。作品の評価はさておき、父の企画のなかで、唯一、採算のとれた作品となったのは時代のせいもあるだろう。2001年のアメリカ同時多発テロ事件、その後の日本の対応と有事法制の議論のなかで、映画は問題提起としての役割を担った。コスタリカ共和国に生きる人々の生活は、言葉でしか知らなかった「反戦平和」の具体性を映し出し、知られざる国家の取り組みが新鮮に捉えられたようだった。しかし、映画が全国各地を駆け巡るころ、父はすでに別の企画で東奔西走していた。
 1999年に東京都平和祈念館建設計画が凍結となり、行き場を失った空襲被害者の被災品や資料を抱えた父は、新たな募金活動を展開し、2002年に民間で東京大空襲・戦災資料センターの開館にこぎつける。
 当時70歳だった父は、亡くなるまでの20年間、戦災資料センターを拠点にして、戦争の語り継ぎに文字どおり身を投じた。と書けば、きれいに締めくくれるのだが、現実は甘くない。過去の戦争の語り継ぎが終わらないまま、次の戦争が来てしまったからだ。
 投じた一石の波紋の輪をゆっくりと見届けることも、ふりかえることもなく、次々と石を投げ続けた人生とはいったいなんだろう。そうせずにはいられないほどの焦りを抱えていたのはなぜだろう。12歳の父が体験した戦争は終わっていなかったことに、今更ながら気づくのである。

早乙女愛(さおとめ あい)プロフィール

プロデューサー・映像編集者
1972年東京生まれ。幼少の頃より、父、作家の早乙女勝元の取材旅行に同行し、国内外の戦跡をたずねて育つ。同志社大学文学部哲学及倫理学専攻卒業。
2001年、中米コスタリカを舞台にしたドキュメンタリー映画『軍隊をすてた国』(山本洋子監督)を初プロデュース。映像制作会社を設立後、PV、テレビ番組、映画、展示映像へ撮影技術を提供。
2020年より舞踊・演劇など舞台芸術のマルチ編集と、映像配信事業を展開。
著書に『海に沈んだ対馬丸』(岩波ジュニア新書)ほか、映画評を多数執筆。東京大空襲・戦災資料センターにて証言映像作品を常設展示中。


東京大空襲・戦災資料センター

〒136-0073 東京都江東区北砂1丁目5-4
TEL:03-5857-5631
火~日:10:30~16:00
休:月(祝日または振替休日の場合は開館し、翌日休館)
https://tokyo-sensai.net/

今こそ、コスタリカから
沖縄に目を向けたい!

世話人 星野弥生

 昨年10月21日(国際反戦デー)に開かれたイベント「戦争をとめる!やらせない!」に参加しました。誘ってくれた友人から、トークセッションの出演者は、沖縄の山城博治さん、三上智恵さん、永田浩三さん、鈴木耕さん、と聞かされ、ヒロジ・ファンである私は、取るものもとりあえずはせ参じたのでした。
 会場である渋谷のロフト9は満員。映画上映のことは頭になかったのですが、三上智恵監督の映画『沖縄スパイ戦史』は圧倒的なものとして迫りました。2018年に公開されたものでしたが、知らなかった、いや知らされていなかった事実が次々と明らかにされ、目の前に置いたビールのことも忘れていました。ゲリラ戦、スパイ戦という「裏の戦争」に駆り出されたのは少年たち。「陸軍中野学校」出身のエリート将校たちが本土から送られ、南西諸島の離島のすみずみまで、住民を組織していたこと。ものすごい衝撃とショックでした。そして、上映後のトークでは、なぜいまこの映画なのかがはっきりします、と語られました。トークで紹介されたのが、『また「沖縄が戦場になる」って本当ですか?』というタイトルの昨年9月25日に行われた「ノーモア沖縄戦 命どぅ宝の会シンポジウム」の講演録です。
 沖縄を二度と戦場にしたくないと、『標的の村』などの映画を撮り続けてきた三上さんは、4年前より今、『こうなるんだ』『戦争は起こるんだ』という危機感が、映画と自分の嗅覚がオーバーラップして感じられると語りました。永田さんも、今はさらにきな臭く、映画は身近なものになっていると。山城さんは、辺野古の座り込みをする中で、3000日間、書き直し続けてきた看板を、「ひろゆき」がネットで「汚い字」と揶揄したことを憤ります。座り込みを続けてきた島袋文子さんは家族全員を沖縄戦で亡くしており、ネットに書き込む人は魂がないのか!再び地獄をさまようわけにはいかない!」と怒りの声。
 映画に出てくる、ガマで遺骨を拾う具志堅さんは、「これ以上新しい遺骨を拾うわけにはいかない。しかし新しい戦争が来ようとしている」と言います。「新しい戦争」が起こるかも、という現実に私たちは引き戻されます。前述の講演録の中で、共同通信社の石井暁さんが明らかにしたスクープは「台湾有事で、自衛隊と米軍が共同作戦計画をつくり、南西諸島に攻撃用の拠点をつくる」ということ。南西諸島の40もの島々を数十人からの小規模に分かれた部隊の拠点にする。それを可能にしたのが、あの戦争法である「安保関連法」で、それは台湾有事にアメリカが参加したときに、自衛隊も自動的に参戦することを可能にした装置でした。そう見ると、さっきの映画の場面がよりリアルなものとして迫ってきます。「今こそこの映画を観てもらわなくてはならない」、それは発言者、参加者の共通の思いでした。『沖縄スパイ戦史』で明らかになったのは、「戦争は武器だけではできない。人びとを協力させることだ」。
 異論をはさむ人を排除する法律がどんどんでき、入口はそこまで来ています。石井さんは「南西諸島の軍事要塞化が進んでいます。石垣島に陸上自衛隊の対艦、対空ミサイル部隊と警備部隊が配置されます。馬毛島という無人島を国が買い上げ航空自衛隊の新基地を作る動きが加速しています。種子島や屋久島の風景が一変するような軍事要塞化です」と述べています。そして、「かつて沖縄戦の犠牲になった南西諸島の人たちを再び戦争の矢面に立たせてはいけない」と。
 反省しきり、ですが、南西諸島すべてが台湾有事に備えて軍事要塞になりつつあるという事実を「日本」に暮らす私たちは知らない、知らされていない。「南西諸島で戦争をやって日本が守れるならいいじゃない。小さい島で死ぬならそれもやむをえない」という感覚がどこかにあるのだとしたら、沖縄戦から何を学ぶのかが心底問われます。今どうしてもやらなくてはならないことは、「戦争は絶対に止める」ということ。軍隊は住民を利用し、自衛隊はそれを踏襲しています。戦争になれば、住民のいのちを守る余力はないことは映画が明らかに証明しています。「波照間の住民がマラリアで殺されたことを自分の問題として一緒に考えていきましょう」と三上さん。「軍事緊張、有事を作るな。軍事よりも対話、外交を!」という、武力の行使を禁じている憲法9条からすれば、それしかない!
という道をなんとしても捨ててはならない、との強い思いにかられます。
 残念ながら、私たちの危惧は現実のものになってきています。「安保関連3文書」の改訂で、相手の領域内のミサイル発射拠点などを直接に攻撃する「敵基地攻撃能力」の保有を宣言し、防衛予算を1.5倍に膨らませ、それを増税で充てる、など、国会での審議もないままに勝手に決められ、アメリカがそれを強く支持している。とんでもないことです。防衛費に使われる税金なんて絶対に払いたくない!あのシンポジウムで語られたことがリアルに迫ってきます。1月13日の報道では、「中国に対抗するため、日米が連携して日本の南西諸島の防衛を強化する方針を打ち出した…離島防衛に即応する『海兵沿岸連隊』を設ける」と書かれています。
 だからこそ、絶対に戦争を起こしてはいけない、沖縄を再び戦場にしてはいけない、との強い意志が今こそ必要なときはないでしょう。『軍隊をすてた国』の映画を発想した早乙女勝元さんの思いは「沖縄からコスタリカへ」でした。ならばコスタリカに学んでいる私たちは、「コスタリカから沖縄へ」、しっかり目を向けていきたいと思うのです。

ブックレット『また「沖縄が戦場になる」って本当ですか?』

「ノーモア沖縄戦 命どぅ宝の会」HPからぜひお求めください。
1冊500円(+送料、10冊以上は送料無料)
http://nomore-okinawasen.org/

ピースアゴラ全国行脚
「沖縄編その1 辺野古、宮古島」

会員 花岡しげる(文・写真)

 昨年11月、約1週間沖縄を行脚し、米軍基地と反対闘争の現状を見てきました。行脚先は辺野古、嘉手納、普天間、宮古島の米軍と自衛隊の基地です。
 膨大な基地が少しずつ移転されて基地の跡地がおもろまちなどのように商業地、大型商業ビルに変容していたのが印象的でした。基地は縮小したというよりほんの一部移転したというのが実態です。米兵はコロナ禍により那覇市中心部などを昼間出歩かないせいか、米兵などの実態が見えにくくなっているように思えました。しかし地元タクシー運転手等に聞けば、米軍基地と米兵の実態はさほど変わっていないことがわかりました。
 今回私は新潟県の曹洞宗寺の野田住職と新潟キリスト教会から高橋さん、青木さん2人の女性クリスチャンの3人が沖縄にあるハンセン病の2か所の隔離施設慰霊と普天間基地ゴスペル集会に参加するツアーに途中から合流しました。

(1)辺野古

写真①

 11月2日、地元の元教員で今は辺野古の基地反対闘争に参加している沖縄詩人会議の中さんに案内されて最初に向かった辺野古新基地テント村でのこと。2ちゃんねる開設者の“ひろゆき氏”が、「新基地断念まで座り込み抗議3011日」と記された掲示板を、「座り込み抗議が誰も居なかったので、0日にした方がよくない?」とツイッターで悪意ある発言をしたことを皆が口々に「許せない」と怒っていました。彼がここに来たのは土砂搬入のトラックが休みの日曜日だったから座り込みは無かっただけのことだと。(写真①)

 前回辺野古に来たのは4年ほど前ですが、基地建設反対の座り込みは相変わらず続いています。座り込みの仲間の中に前回一緒に座り込んだ地元の人を何人か見つけました。
 沖縄県民のなんと粘り強い反対行動!県庁前から出されるバスで手弁当で連日通っている座り込み参加者も多いとのこと。相変わらず続く機動隊と民間警備会社による座り込み排除行動を行う暴挙をまたも目の当たりにしました。10年近く続く県民の基地建設反対の抗議行動も、選挙の結果も、全く顧みない自公政府はまさにアメリカ植民地政府です。
 テント村ではサックスを演奏し、座り込みの人たちに拙著『自衛隊も米軍も、日本にはいらない』を紹介し、10冊完売しました。また、マイクを握り、「2025年までに必ず自衛隊も米軍も日本からなくします。だからそれまでの間、できるだけ工事を阻止するよう頑張ってください」と話しました。

 既に南側予定地はほぼ埋められていましたが、県民は全くめげてはいません。この日はカヌーが抗議行動に出艇する浜辺に行き、その後、キャンプシュワブ基地ゲートの北側に回り、急斜面を上って山頂からまだ埋め立てが始まっていない北側の埋め立て予定の海(写真②、フェンスの向こうが軟弱地盤の埋め立て予定の海)を遠望しました。絶滅危惧種ジュゴンの生息地、今はまだ美しい青いサンゴの海のままです。ここを沖縄戦の遺骨も混じる土砂で埋め立てる工事は沖縄県民の身も心も引き裂く所業です。

写真②

 7日にも辺野古を再訪し、座り込み参加者を激励しカンパもしてきました。その後、名護市役所脇にある稲嶺進事務所で稲嶺元市長と面談し、昨年1月に行われた名護市長選挙の内実を聞きました。自民党による公職選挙法違反スレスレの強引な期日前投票の実態を知って怒りがこみ上げました。恐らくこれが自民党が全国的に行っている選挙の実態でしょう。
 名護市郊外の沖縄愛楽園を、ご自身ハンセン病2世(クリスチャンだった所長の計らいで、ご両親が奇跡的に断種を免れた)でもある奥間さんにも同道してもらい、亡くなっても遺骨の引き取り手がいないため敷地内の納骨堂に安置されているご遺骨を野田住職が手厚く弔いの読経を上げました。
 優生保護法の下、1996年の熊本地裁判決まで人権蹂躙の断種や避妊手術を受けさせられた元患者の皆さんの気持ちは想像するだけでも心が痛みます。

(2)宮古島

 11月4日に那覇空港で新潟からの3人と合流して、宮古島に2泊3日滞在しました。我々本土の4人は、私も含めて沖縄よりさらに300キロ南西に位置する人口5万5千人の美しい海に囲まれた宮古島の歴史を知りません。そして現在の自衛隊の動きについても同様です。飛行機から見下ろすサンゴの海の素晴らしさは、メキシコのカンクンで見て以来の美しさでした。
 宮古島は平坦で山も河川もないため、飲料水は100%地下水に頼っています。そのため宮古島は地下水と環境を守るエコアイランド宣言をしています。第2次大戦中、この小さな島に島の人口の半数を上回る旧日本軍3万人が本土から駐屯し農作物を奪いながらも多くの餓死者、マラリヤ患者の犠牲をだした事実を私も知りませんでした。
 当時宮古島は日本でありながら飢餓の島といわれたそうです。2019年、故安倍内閣は、中国牽制策として千代田カントリーゴルフ場を買い取り、陸自の駐屯地を建設しました。
 今回は「ミサイル基地いらない宮古島住民連絡会」代表でメロンとサトウキビ農家の男性Nさんと女性のSさんの案内で島内を巡りました。農地の真向かいにある陸自駐屯地正門に向かい、「子供たちの未來のために陸上自衛隊配備反対野原部落有志会」の幟を立て、毎日運動を続けています。
 基地内には地対空、地対艦のミサイル合計7基が配備され、千人以上の陸自隊員が駐屯。基地の地下には巨大燃料タンクと共に弾薬庫が置かれ、近隣住人を極度の不安状態においています。弾薬庫への攻撃や暴発の危険もさることながら、燃料などの毒が地下水に漏れれば島民は飲料水を失います。フェンスの外から基地内を撮影していたら、直ぐに監視カメラで我々を発見した自衛隊員が2人駆けつけました。注意する自衛隊員に私は自衛隊を災害救助隊に衣替えする案を説明し、自衛隊よりジャイロに参加したら?と勧誘したところ、隊員はニヤニヤしながらジープに戻りました。
 勤務中の自衛官に直接ジャイロの話をして勧誘したのは、今回が後にも先にも初めてです。

写真③

 戦争中は従軍慰安婦もおり、基地のそばには12か国の慰安婦の存在を残すため12か国語の碑文による祈念碑もありました(写真③)。慰霊碑から見える丘には、中国監視の航空自衛隊の巨大なレーダー基地がおかれ、強烈な電磁波被害を島民に与えているそうです。

 11キロほど東の保良(ぼら)にある陸自の訓練場(兼弾薬庫)も訪ねました。工事が進む様子は、沖縄で繋がったLINE(ライン)の「保良だより」で毎日基地の監視を続けている同志から毎日動画と共に送られてきます。
 宮古島にあるハンセン病隔離施設「国立療養所宮古南静園」を訪問し、納骨堂で慰霊法要を営み宮古島教会で日曜礼拝に参加されたクリスチャンとのランチ会で非武装中立を説き、拙著を買ってもらいました。夜は島民の集まるカラオケで行脚、偶々来店していた元宮古島市役所職員は拙著を見て「我が意を得たり」とばかり歓喜の声を上げました。この教会の塀には大きく憲法第9条全文を掲げた看板があります(写真④)。このような石碑類は、我々が知らないだけで日本のあちこちにもきっとあると思います。
 日本は憲法第9条を持ちながら、安倍氏により完璧に強大な軍事国家に変容してしまいました。こんな中でいつまでも憲法9条を護ろう、を唱えるだけでよいわけはありません。
 故安倍首相の悪政の数々を思い出し、彼が今でも存命なら今でも最悪の日本がどんな日本になっていたか?と想像するさえ恐ろしくなります。

写真④

―次号に続く―

「平和を壊す安保3文書閣議決定撤回とコスタリカ」
―今こそコスタリカに学ぶ!―

共同代表 弁護士 児玉勇二

 岸田政権自身が「平和国家としての国のあり方の大転換をめざすもの」と言っているように、戦争の準備と違憲の安保法制(戦争法)を装備と国家総動員態勢の実行段階に引き上げ、日米の軍事的一体化と米国への従属化を公然と今まで以上に進めようとしている。
 昨年12月16日には「敵基地攻撃能力」の保有と、そのための5年間で43兆円規模、単年度では対GDP比2%規模に軍事費を引き上げる大軍拡、その財源確保のための大増税、国債を発行する一方、福祉教育費削減を行うなどの安保3文書(国家安全保障戦略、国家防衛戦略、防衛力整備計画)改定を閣議決定した。1月14日にはこれを手土産にバイデン大統領との首脳会談に臨み、「日本の反撃能力及びその他の能力の開発及び効果的な運用についての日米の協力」深化の共同声明を発表、確認した。安保違憲訴訟担当弁護士の私から考えてみると、集団的自衛権行使を容認した安保法制の下で、日本が攻撃されなくても海外派兵して他国を攻撃することができるという軍事戦略として、今まで地球の各地の紛争に武力介入して国連でも非難されてきた米国の下で矛の役割をもって武力行使をすること、憲法9条をかなぐり捨てて、憲法改正もしないでとうとうここまできてしまった。
 憲法前文および9条で「二度と戦争をしない」ことを謳い、交戦権を否認し軍隊を放棄し、戦後もそのおかげで戦争の惨禍に合わずに来たが、平和憲法を持つこの国が、立憲主義も民主主義も平和主義すべてを投げ捨てて、主権者の国民の意見を聞かずに国会も開かず閣議決定してしまった。憲法に定められた三権の一つである行政権が立憲主義を侵害し、明白な違憲行為に乗り出したのである。しかも米国へのお土産のほうが先という異常で卑屈な傀儡政権傾向を強めた日本の戦争前夜の嵐の風景の中で、実際に軍隊を捨てた国コスタリカと交流し学んできた「コスタリカに学ぶ会」としても、今こそ大きな行動を起こさなければならないと考えている。
 他国の奥深くまで攻撃できるミサイル・トマホーク500基などを米国から爆買いし、その費用を国民が負担すべきと、巨額な税金公費を投入させられるこの大軍拡は、今までの新自由主義経済、アベノミクスからの円安物価高で、30年間給料も上がらずインフレからくる生活の苦しさは年々深まり、だからこそ、豊かな社会保障、教育保障、賃上げなどが必要なときに、格差と貧困の拡大に苦しむ庶民の暮らしを一層破壊していくことなる。そして安保3文書など岸田政権が進めているこの軍事一辺倒の戦争準備の政策は、東アジアでの軍拡競争を加熱させ、日本が再び戦場となる現実的危険性を高めるとともに、世界中の人びとのいのちが脅かされる危険性をも高めるものである。
 コスタリカは、同国の憲法第12条の規定に従い軍隊を捨てて、軍事費をゼロにし、国を豊かな平和国家にするために教育費を国家予算3分の2に!小さいときから暴力よりは対話と話し合い解決を!教育は人格を形成することが第一!周りに戦争があれば戦争をやめろと時の大統領が説得に行ってノーベル平和賞をもらい!本物の積極的平和主義をとってあらゆる分野で平和が政策の基準となっている!米国からイラク戦争の軍事有志連合への参加要請があり、時の大統領が参加に同意してしまったが、当時大学生だったロベルト・サモラ君がこれを違憲として最高裁に提訴し最高裁は違憲という判決を下した。これにより、コスタリカは軍事有志連合リストから離脱することができた。人権と民主主義を重んじているので国内のみならず国際的にも国連での人権活動がめざましく、核兵器禁止条約の案文作成を主導し、制定・批准にも率先し、国連制定採択の時にも議長を務めた。制定後の昨年の締約国会議のときにも先頭に立ってリーダーとして活躍している。

 コスタリカは経済大国ではないにもかかわらず、世界の幸福度指標では世界一となっている。私たちはコスタリカをそのまま真似るというのではなく、さまざまな素晴らしい点を、今こそ一つでも取り入れて、日本にふさわしい本物の平和構築を広げていこうではありませんか。「コスタリカに学ぶ会」の共同代表として皆さんとともに、日本の老若男女に呼びかけ、平和のアピールをします。

「戦争・軍事よりも平和・対話・話合いを!」
「コスタリカのように!」

サモラさんからのメッセージ

 もうかなり時が経ってしまいましたが、安倍元首相の国葬問題が沸き起こっていた頃、杉浦ひとみさんが、国葬をやめさせるための方法の一つとして外国からの支援を求めたいと、コスタリカの友人であるロベルト・サモラさんにメッセージの依頼をしました。ロベルトさんからのメッセージは9月27日の国葬には間に合わず30日に届きましたが、9条を守りたいという私たちへの連帯の証として紹介したいと思います。 (星野弥生)

ロベルトさんへのお願い

 安倍首相(憲法9条の改正~国防軍の設置などを盛り込もうとした総理大臣)が射殺され政府は国葬をしようと考えています。しかし、国葬には市民の半数以上が反対しています。なぜなら、日本には、国葬を認める根拠法規がないうえに、国民に弔いの気持ちを強いることは憲法の規定する内心の自由に反すること(戦争法を作るなど、やってきたことがとんでもないという批判ももちろんあります)等が理由です。しかし海外に国葬にするとの広報をしたことから、国は撤回が難しいものと思います。
 そこで、ロベルトさんの活動により、コスタリカのパチェコ声明を撤回させるという、国際的には国の恥的と思われるような例があることを紹介しています。しかし、コスタリカの例は尊敬こそすれ、恥ずかしいものではないはずです。
 日本も、民意を尊重して、一旦発した国葬の通知を撤回してほしいのです。ロベルトさんに、民意を尊重して国の発信の撤回を海外の発信することは恥ずべきことではないといったメッセージを頂けませんでしょうか。(杉浦ひとみ)

ロベルトさんからの返信

 ヤヨイさん。メッセージを送るのが間に合わず、申し訳なく思っています。
 ニュースで、アベが最終的には国葬となったことを見ました。とても残念だし悔しいです。日本の政治の問題は、日本の政治が、民主主義を知らず、頑固な老人たちの少数の寡頭政治が、平和な国民を代表しない代表を決めてしまうことです。
 アベが日本の自衛隊のメンバーによって殺されたのはとても皮肉に思えます。皮肉?カルマ?あるいは単純に、欲が深ければ殺される、という一つの見本でしかないのかもしれません。欲望はいのちや愛から離れたものでしょう。アベの暗殺のニュースを聞いたときに最初に思ったことは、「自業自得」。犯したすべての害をもはや知ることはできないのは残念だということです。アベは日本が消さなくてはならない「おじいさん」の政治階級を代表するものとして死にました。アベの暗殺は第9条を守らなければということのもう一つの理由となります。
 送るのが間に合わなかったことをお許しください。本当に申し訳ないです。9条の運動は私の人生の一部で、いつも支持しているし、これからもずっと支持し続けます。実は11月に母が亡くなり、飼い犬の一匹が死に、3月にはもう一匹の犬が死んだということがあったのです。
 コロナのためにいまだにまったく旅をすることができず、この一年間は僕にとってとてもしんどい年でした。犬たちがいなくてとても寂しいのですが、母の喪失感はものすごいものです。いまだに元気になれません。ぼくにはとてもこたえ、時間の感覚を失います。頭を100%もとの場所に戻すことは難しいことでした。残念ですが。
 スギウラさんに心からのお詫びをお伝えください。今のところ状態が良くないので正常に戻るのがたいへんだったと。母はいつもとても近くにおり、とてもよい友人、同志だったので本当に寂しいのです。(ロベルト)

一人デモの実践報告(5)
世話人 小倉志郎

 一人デモを始めて6年半が過ぎた。ある程度の手応えを感じ、続けてきて良かったと思えるので、その体験を報告したい。

  1. 始めた動機:澤地久枝さんの呼びかけに応えて、毎月3日に金子兜太さん揮毫の「アベ政治を許さない」というプラカードを掲げて横浜駅西口の交差点に立ったのが最初。しかし、6年半前の参議院選挙の結果、衆議院・参議院ともに改憲派議員の議席が3分の2を超えて改憲の可能性が大きくなったことにショックを受け、まばらな間隔でデモをしていては不十分だと思い、毎日続けることにした。
  2. 恥ずかしさの克服:最初の一人デモの日は恥ずかしくて早く終わりたいくらいだった。しかし、9割以上の人びとは、自分の方に視線を向けずに通り過ぎた。3回目頃から人々から見られる恥ずかしさは自然に消えた。
  3. 試行錯誤:プラカードには訴える言葉を10m先から読めるようにA3サイズのコピー用紙に大きく手書きした。言葉はときどき入れ替えた。無視して通り過ぎる人があまりにも多いので、2年ほど前から小型のハンドマイクを使うようにした。最初は駅頭に立ったが、途中から街頭、商店内、駅の構内、電車内、バス車内などよほどのことがない限り、至る所で実行した。
  4. 周囲の人々の反応:羞恥心が消えると人々の反応を観察する余裕が自然にできた。老若男女の多彩な反応があり、それを観察することが楽しみになった。
  5. 情報伝達の効果:今でも無視する人が多いことは変わらないが、明らかにプラカードに視線を向ける人々が何パーセントかはいることがわかる。またそのうちの何人かは、私に対して何らかの意思表示をしてくれる。「私も同感です」「写真を撮らせてください」「ありがとうございます」など。親指を上に向けた拳を見せる人も。びっくりしたのは百円玉を5つ「カンパ」されたこと。
     自衛隊肯定論者が議論を吹っかけてきたことも。自分と相手との間に、何も介在させずに直接メッセージを伝えることができるという効果を生々しく実感している。
  6. 出会い:まったく知らない人から声をかけられ、立ち話をして意気投合し、その後密な情報交換をする関係になった。
  7. メディアの取材:2つの新聞社の記者の目に留まり、取材記事を掲載してくれた。あるYouTuberは動画をつくってインターネットにアップしてくれた。

 以上のように、予想もしていなかった結果を体験することができ、一人デモを続けてきて本当に良かったと心から思っている。
 皆さんにも、ぜひ一人デモを始めることをお奨めしたい。(別紙東京新聞抜刷をご参照ください)

■イベントニュース■

■第46回定例学習会

■映画上映会
 『コスタリカの奇跡~積極的平和国家の作り方~』
■日時:3月18日(日)
 開場:13時30分、上映:14時~(90分)
■場所:文京区男女平等センター研修室A
■資料代:500円(18歳未満無料)
(詳しくは、通信同封のチラシをご覧ください)
会員以外の方もご自由にご参加ください。

■定例オンライン学習会(Zoom)

■日時:毎月1回第2火曜日 20:00~22:00(原則)
■参加条件:顔出しでお願いします
初めてご参加の方は、実名・ご住所をメールでご連絡
ください。
sugiura@law.email.ne.jp(杉浦)

■定例座談会形式(通称:A方式)勉強会

今後の開催予定
第444回:3月 6日(月)14:00~17:00
第445回:3月19日(日)14:00~17:00
第446回:4月 3日(月)14:00~17:00
第447回:4月23日(日)14:00~17:00

会場:文京区男女平等センター 実習室
参加ご希望の方は、幹事(小倉)までお問合せください。

「平和をつくり、保つために軍隊は要らない」という確信を持つ仲間を増やしましょう。
そのためにどうすればよいか、「対等な関係での対話」をしながら、一緒に考えましょう。
発熱、咳など体調に異変のある方は参加をお控えください。

■「函館市大間原発裁判報告と講演会」

■日時:3月1日(水) 16:00~18:30(開場15:30)
■会場:参議院議員会館 B104(100名まで)
■資料代:500円
■プログラム

  1. 講演:小倉志郎(元原発技術者、当会世話人)
     「原発を並べて自衛戦争はできない」
  2. 弁護団報告:海渡雄一弁護士、只野靖弁護士
  3. 現地報告

◎15時から東京地裁103号法廷にて第29回口頭弁論
(14時半までに地裁前で傍聴整理券を配布予定)
主催:大間原発反対関東の会 事務局(イロハネット)
090-6517-3341(山本)

■通信編集長よりお願い

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