悲劇の兵站病院(兵病)
当時北部ルソンには第12陸軍病院と5つの兵站病院と野戦病院があったが弾丸が飛んでこない場所のない中どの病院も野戦病院化しいていた。
5号道路のバヨンボン付近にあった134兵病は悲劇の主となる。
3月10日の猛銃爆で多数の犠牲者を出し、本院病棟は焼失する。
毎日続出する患者の死体を運び埋めるのがせい一杯、病院が緊急移動の命令を受けたのは6日夜の9時。
雨の中を移動開始する。
病院はもともと非戦闘員のかたまり、戦闘部隊のようには動きがとれない。
一部の軽症者を掌握するのがせい一杯。
昼間は山中に隠ればらばらになって脱出したが犠牲者が続出する。
動けぬ患者はどうなるか。
その結論は自決と処置しかない。
最も普通の自決は手榴弾による自爆である。
小銃か拳銃を用いることもある。
一部の看護婦さんは青酸カリを携行していた。
小銃は両手で銃口を口にくわえるか顎の下に宛て、足の指で引き金を引く。
拳銃は銃口をこめかみに当てるか口にくわえて撃つ。
病院の移動の時は処置(補助ともいう)が行われる。
動けぬ患者の安楽死である。
モヒなどの麻薬もあるが普通は注射だ。
看護婦さんは嫌がったから普通は軍医、衛生兵の仕事になる。
この目で見たのは色から見て消毒薬の原液だった。
元気が出る薬、とか、楽にしてやろうか、と言う。
患者が頷けばもちろん、応答する力が無くても1~2CCくらいを注射する。
液がなくなるかなくならないかの中に、身を硬直させて息絶える。
戦場は死が日常。
戦場に半年も暮すと、他人の死に対して無神経になる。
戦争はしょせん殺し合い。
欲せずとも戦いが人を殺す。
-引用終-続く
戦争の実相を知らない政治家たちに菅原文太が生前語った言葉を聞かせたい。
「国家の役割は国民を飢えさせないことと絶対に戦争をしないことだ」
2023年8月7日 記
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戦場を知らない政治家か次なる戦争を準備して始める。戦争を始めた人たちは戦場で無惨に死なない。死ぬのは普通の人たち。帰還兵が口を揃えて二度と戦争をしちゃいかん、彼らが死に絶え、また戦争をやろうとする愚かな国にしてはいけない。米軍も自衛隊もいらない。
「戦場体験を受け継ぐと言うこと」高文研ーの著者である歴史学者の言葉は重いと思います。
軍人も高位ほど死亡率は低い史実がありますね。