―以下小倉志郎さんの寄稿文の引用―

 私は安保法制違憲訴訟差止裁判(東京)の原告の一人である。

集団的自衛権を認めるこの法制は、米国が戦争をする際に同盟国として日本が戦争に参加することを可能にするもので、戦争放棄を明記した日本国憲法に明らかに違反している。

しかし、一審で私たちは敗訴した。

極く簡単に言えば、裁判官たちは「日本が戦争に巻き込まれる危険性が『差し迫っている』とは言えないから、憲法に違反するか否かを判断する必要はない」と判断を避けたのだ。

この判決は言外に「もし、戦争に巻き込まれる危険性が『差し迫っていれば』判断をする」と意味している。

米軍高官は「2027年には台湾有事がある」と述べている。

今から3年後であるが、日本政府が「台湾有事は日本有事だ」と言っているのに、裁判官は「差し迫っていない」と言う。

彼らは、何年後、何か月後、何日後になれば「差し迫っている」と判断するのか?

実に曖昧な根拠で憲法判断を避けている。

これでは、裁判所が憲法の番人とはとても言えない。

裁判所だけではない。

軍事予算が倍増し、沖縄南西諸島で、中国との戦争に備えてミサイル基地化の工事が進められているにもかかわらず、岸田内閣への世論調査による支持率が下がり傾向とはいえ、今も20数%もある。

これは、やはり戦争の可能性が「差し迫っている」と感じていないからだろう。

このままでは、過去の戦争と同様に、国民が「あぶない!」と気が付くのは、戦争が始まってからになるだろう。

2024年5月17日 記

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