―以下小倉志郎さんの寄稿文の引用―

 最近、とても面白い本を読んだ。

河田いこひ著「かむぃ・あぃぬ・らむ 縄文の平和とカムィ・ユカラ(ラは小文字)」(風媒社、2023年6月16日第1刷)だ。

縄文時代は紀元前1万年前後から紀元前2~300年頃と言われ、その遺跡は北海道から九州まで分布している。

即ち、私たち日本人の古いご先祖さまと言って良い。

その後弥生時代が続くが、縄文時代の遺跡からは戦争をした形跡が見つからず、弥生時代になり戦争(集団的武力闘争)の形跡が見られると言う。

この本のユニークなところは、縄文人の末裔と考えられる「あいぬ」の人々の間で代々語り継がれてきた物語の数々を丹念に読み解き、平和に暮らしていた縄文人の「こころ」の痕跡を見つけようとしていることだ。

様々な物語を具体的に検証することで、その意図が成功している。

私は、縄文人の遺骨と弥生人の遺骨の比較という物的証拠で、縄文時代が平和であったというぼんやりとした感覚を持っていたが、縄文人の「こころ」に平和の根源を求めるという研究を目にしたのは初めてだ。

縄文時代以降、日本列島には南から北から様々な民族の渡来があり、先住の人々との混血によって現代の私たちがいるわけだが、それでも、私たち自身の中に縄文人の平和を求める「こころ」が残っているはずだ。

みなさん一人ひとりが雑念を捨てて、自分の胸中をさがしてみれば、縄文の「こころ」が必ずみつかるだろう。

その「こころ」に従えば平和を実現するには非武装が良いことが自然に判るだろう。

2023年9月17日 記

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