―以下元東芝原発技術者小倉志郎さんの寄稿文の引用―
昔から怖いものの代表として「地震、雷、火事、おやじ」と言われて来た。
今では、「おやじ」は実質的に怖いものではなくなっているが、新たに加わったものがある。
それは「原発」だ。
スリーマイルアイランド(1979年)、チェルノブイリ(1986年)、フクシマ(2011年)の重大事故が現実に起きたのだから、世界中の人々が「原発は怖い」と思うのは当然だ。
「怖くない」と言う人は技術を過信している極く一部の技術者か無知な経営者か政治家だろう。
しかし、「怖い」と感じている人でも、その「怖さ」は一様ではない。
例えば、「怖いけれども、電気が無いと困るから原発は必要だ」と言う市民や「怖いけれども、政府が公布金を沢山くれるから再稼働してもらいたい」と言う自治体の首長や議員がいる。
一方、「原発は人間とは共存できない」と唱える脱原発派の人々にも温度差がある。
例えば、福島県内の中通りや浜通りの放射能汚染地域でシンポジウムがあると被ばく防護対策、特に内部被ばく防護対策をほとんどしないまま出かけてしまうのがほとんどなのだ。
20年余り、原発の放射線管理区域内で仕事をした私から見れば、上記の人々は「本当の怖さ」をまだ感じ取っていないと思う。
「手前味噌」になって大変申し訳ないが、拙著「元原発技術者が伝えたい本当の怖さ」(彩流社、2014初版)の一読をお奨めする。
2023年9月23日 記
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政治への「若者の無関心」に掲載された四条件は、私も同感です。
だが、結果には原因がある、つまり因果関係があるのです。
従って、なぜ若者が無関心になったのか、分析する必要があります。
南米のコスタリカや北欧のフインランドなどは、投票率80%です。
アメリカの大統領選挙の投票率は50%強です。
これらの事例は、どうしてそうなったのか、実情を考察する必要があると思います。
述べると長くなるので、指摘にとどめます。