―以下小倉志郎さんの寄稿文の引用―

 「心中(しんじゅう)」と聞けば、愛し合った男女の関係が世間に認められず、世をはかなんだ二人が一緒に自殺をする悲劇が思い浮かぶ。

身分や家柄の違いが重んじられた時代では許されない願いであり、それが古典芸能に取り上げられて、鑑賞した人々が同情の涙を流した。

悲劇ではあるが、一種の美談として語り継がれてきた。

人は平等と認められる今、貧困の末に親が子を道ずれにしての、あるいは、老々介護で疲れ果てての「無理心中」が報じられる。

とても美談などとは言えない。

これらは悲劇だが、死者は極く限られている。

一方、死者の数が無限に多くなる「心中」の可能性が出てきた。

ご承知の通り、核兵器発射ボタンを押せるのは核保有国の権力者だ。

その人間が政治的に追い詰められて、自らの将来に絶望した時にどういう行動を起こすだろうか?

万一、彼が核のボタンが押した後、その一発だけで終わる保証はない。

相手側も直ちに核兵器を発射し、第三次世界大戦=核戦争=勃発の可能性が大きい。

まさに、絶望した一人の人間が人類全体を道ずれにした「無理心中」だ。

「そんな話は幻想だ」では済まない。

現に、ウクライナ戦争中にロシアの元大統領が「核兵器を使えばすぐに戦争を終わらせることができる」と言っている。

偶々当人は核のボタンを押す権利を持っていないが、次のトップにどんな人間がなるかわかりはしない。

私たちはそういう「無理心中」に巻き込まれる瀬戸際にいるのだ。

2023年10月3日 記

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