―以下小倉志郎さんの寄稿文の引用―

日本には「恥の文化」があると言われて来た。

公の場で恥をかかされた場合、自殺をしたり、逆に復讐として相手の命を奪ったりする。

そういう行為が美談になったりする。

歌舞伎や 演劇 ・ 映画 の分野で有名な「忠臣蔵」は恥の文化の結晶とも言える。

もし、赤穂藩藩主・浅野長矩が吉良義央による辱めの言葉を恥とせず聞き流していたら、「忠臣蔵」という作品は生まれなかった。

ところで、私は毎日一人デモをしているが、始めてから今年で8年目になる。

色々な機会に紹介しているように、「脱原発」および「戦争を不可能にするための非武装」を訴えるメッセージをプラカードやゼッケンにして外出している間、周囲の人々にアピールしている。

この方法の宣伝効果の高さを実感して仲間に薦めているが、多くの人は「恥ずかしくてできない」と言う。

普通、恥ずかしいと感じるのは次の場合だろう。

1何か失敗した時、2.周囲の人々と異なり目立つ時、3.見苦しい姿の時、4.競争に負けた時。

この中で一人デモはどれに該当するか?

1と4は当てはまらない。

どうやら2と3が恥ずかしく感じる理由のようだ。

デモは宣伝だから目立つことは避けられない。

「見苦しい」と感じるかは見る人の感性で変わる。

事実、私の一人デモを「恰好いい!」と言ってくれた高校生もいた。

「恥」というハードルを飛び越えて一人デモを多くの人々が始めてくれることを祈っている。

2024年1月24日 記

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