―以下小倉志郎さんの寄稿文の引用―
「戦争中毒」にしろ「米国病」にしろ、国家の病態を表現した言葉だ。
今の日米両国はそういう病態なのだが、では国家が「健康」とはどういう状態で、「健康」になるにはどうすれば良いのか?
「健康」とは全ての国民の基本的人権が守られている状態が完全な「健康」と私は解釈する。
今の日本の状態を見れば「健康」からほど遠いことは明らかだ。
経済格差の拡大、様々な職場での言論統制、各種の差別、福祉政策の貧困、異常な医療政策、・・・、切りがない。
個人の病気を健康に戻すには、自分の身心の異常を実感したら、参考書やインターネットで調べたり、医師に診断してもらったりして病因を見つけ、適した治療法を使って治療する方法が、よほどの難病以外は確立している。
しかし、国家の病態の場合は、異常を実感するところから簡単ではない。
ほとんどの場合、主権者である国民はメディアを通さないと国家の病態を知ることは不可能だからだ。
その上に、国家の病態を診断し、治療をする専門の医師がいないし、病院も無い。
即ち、国家の病態を治療する確立された方法はまだ無いのだ。
だとすれば、治療をしたいと思う国民は道無き道を試行錯誤しながら進む他ない。
誰かが目的地へ達する道を作ってくれたり、あるいは、超能力を持つ案内人が現れるのを待っているだけでは国家の病態は改善せず、断末魔を味わうことになるだろう。
2024年4月5日 記
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健康と言っても度合があるわけで例えば20歳の若者の多くは特別悪い箇所がない、いわゆる健康状態なのでしょう。
世界中見渡してもそれほど完璧に近い健康な国が実現されていないところが悩ましい点だと思っています。
北欧諸国がやや健康状態日数いているように見えますがアメリカや欧州諸国を見ても健康な国とは私には思えません。
友人の中にはアフリカのような国と比べ日本はいい国だと主張する人もいますが、それもまた比較対象としては情けない見方でしょう。
筆者の、国が健康状態になるには人任せではいけない、という主張は全く同感ですが日本に限らず世界中の市民がもっと利口になればアメリカやロシアのよう状態にはならないわけでそう考えると何か絶望的になってしまいます。
もっとも他国の市民に対しては私たちが何ら影響を及ぼすことはできませんがせめて日本の中では市民の覚醒を期待し、そのために一人一人ができる行動が必要なのでしょうね。