1946年8月1日、鈴木義男は前回紹介した7月29日に発表された芦田私案の1項と2項の入れ替えに対して自分は1項と2項の入れ替えには違和感を感じると言って元通りに戻す修正提案を行いました。

後々、自衛隊合憲論への道を開く解釋を許す鍵となる現在の憲法と同じ順番に戻す案です。

芦田はこの鈴木提案に応じ、確認のためと言って1項と2項を元通りに戻す条文を読み上げた際、2項「前掲の目的を達するため」を「前項の目的を達するため」と替えて読みました。

この芦田修正つき前項の目的が何を指すかについて委員会で問われた芦田は当然であるという風情で1項の国際平和の希求の部分を指していると明言した速記録がハッキリ残っています。

進歩党(のちに自民党)の犬養健(たける)(後日法務大臣となった際「自衛隊法、防衛庁設置法案の審議と重なっているとの理由で造船疑獄で逮捕状の出ていた佐藤栄作自由党幹事長(のちの首相で岸信介の実弟)の逮捕を指揮権発動して封じた人物)も鈴木の提案に賛成意見を述べました。

何故、鈴木義男が違和感を覚えたかについて速記録に記録はありません。

単純に日本語の、或いは条文の「座り」が今と同じ1項、2項の方が落ち着くというのでしょうか?

鈴木義男は当時は日本社会党でしたがその後、民社党に移り現職のまま1963年に亡くなり防衛庁、自衛隊の成立(1954年)を見届けています。

2項修正の当事者の芦田は憲法公布の当日に出版した著書「新憲法解釈」で、この修正によって、「戦争と武力行使と武力による威嚇を放棄したことは、国際紛争の解決手段たる場合」のみ、すなわち「侵略戦争」の場合のみであることがハッキリしたと主張し、自衛のための戦争と武力行使はこの条項によって放棄されたのではない。又侵略戦争に対する制裁を加える場合の戦争もこの条文の適用外である、と指摘しています。

吉田茂は戦後初の国会で共産党の野坂参三との論戦で野坂の「戦争には不正の戦争と正しい戦争の二種類があって、戦争一般の放棄ではなく侵略戦争の放棄を規定すべきではないか」との質問に対し自衛戦争をも否定して野坂の質問を有害無益の議論である、と決め付け自衛戦争否認論を展開しました。

吉田は連合国の信頼を得て独立を達成することが先決だとみていたからともいわれています。

皇室の安泰を含む国家の安全保障の達成のために、公の場で「その場しのぎ」に憲法解釈をその都度変えてきた政治家の姿は石破、高市首相など現代の政治家とさほど変わりません。

しかしこの修正が極東委員会ですんなり承認されたわけではない事、新憲法を一方的に押し付けられたというのは間違いの証拠があること、そして私の憲法解釈をもってすれば、現行憲法9条は非戦・非武装を貫くべきと書いている世界の宝であることを後日に。

―続くー

2025年11月8日 記

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