オーバビー博士はアメリカの退役軍人でその後、学者、そして日本国憲法第9条を世界に、と平和運動家として終生活動されました。
我が師チャールス・オーバビーさんが2006年、80歳を迎えて書かれた自伝歴を4回に分けてご紹介します。
ホームページの表紙の右側にある「オーバビーさんの思い出(2008~2017)をクリックしてください。
-以下引用ー
オーバビーさんの生前、私との交友の記録動画、亡くなる直前の日本人へのメッセージ動画を視聴できます。
一口にアメリカ人と言ってもオーバビーさんのようなトランプと真逆の素晴らしい平和運動家がいることを知ってください。(翻訳は日本のご友人TYさん)
チャールズ・オーバビー自伝的履歴書
=人があまり通らない方の道=
80年の人生を振り返るとき、この詩が耳にこだまする。
二つの道が森の中で別れた
私は人があまり通らない方の道を選んだ
それが大きなちがいを生んだのだった
――通らなかった道――
(ロバート・フロストの有名な詩の一節より)
1926年、モンタナ州で生まれた。
ノルウェーからの移民で経済的には豊かではない両親のもと、6人兄弟であった。
私はただ、飛行機に憧れ、若くて無知だったために、アメリカ空軍の志願兵となり、第二次世界大戦の終わり、原爆の大虐殺のときは、B29の訓練を受けていた。
そのまま戦争が終わらなければ、日本を空爆することになっていた。
戦後、GIビルという名の復員兵への奨学資金を受け、ミネソタ大学で機械工学の学士号を受け、学内の予備将校訓練講座を終え、1950年アメリカ空軍の少尉に任官した。
朝鮮戦争に召喚され、パイロットに志願し訓練の後、朝鮮戦争最後の6ヶ月間、B29に乗って、沖縄の嘉手納空軍基地から北朝鮮に爆撃した。
朝鮮戦争後、しばらく民間企業で働いた後、自分は、機械工学以外の、人生にまつわるあらゆることについては完全に無知な人間であったと自覚し、ウイスコンシン大学の大学院に入り1959年に機械工学の修士号、1965年に、学際間の哲学博士号を取得した。
このウイスコンシンでの8年間に自分はとても感謝している。
妻と二人で3人の娘を育て始めた(皆とても立派に育ってくれた)。
朝鮮戦争後の自分の心を落ち着け、気を取り直し、視野を広げることができた。
機械工学だけでなく、自分は、経済学、政治科学、歴史、心理学、そしてメディカルスクールの生理学(人間的要素の工学)、哲学、さらに、倫理、国際関係論、産業関係論、国際社会経済開発、そして、ロースクールで法律も学んだ。
ウイスコンシン大学の豊かなアカデミックな環境のおかげで、自分は成長し、“人があまり通らない方の道”へと、人生を進めた。
―続くー

来週の講演会のお知らせ

2026年1月9日 記
\この記事が気に入ったらぜひSNSでシェアしてください!いいねボタンも押して頂けるとうれしいです!/