―以下引用ー
その後、マジソンのウイスコンシン大学、コロンバスのオハイオ州立大学、アセンズのオハイオ大学などで、工学部の教職。
シアトルのワシントン大学、ワシントンDCの工学部生のためのワシントン・インターンシップ、工学ならびに公共政策プロジェクト、愛知の中部大学、上海機械工科大学、モンタナ州ボズマンのモンタナ州立大学などで客員教授。
現在(注2006年当時)はオハイオ大学名誉教授。
70年代後半、アメリカ議会のテクノロジー査定局(OTA=オフィス オブ テクノロジー アセスメント)で、環境問題と資源の保全の分野で働いた。
そこでの自分の専門は、わが国(注:米国)の資源消費の法外さを調べることになり、改善のための政策提言を行った。
1980年には、ワシントンDCの工学部生のためのワシントン・インターンシップが始まり、今も継続している。
これは、全米から優秀な工学部生が15名選抜され、“公共政策エンジニア教育”についてのプログラムを履修するもので、私は、この意味のある社会的な発明品の、その初代担当教授を務めた。
82年には、レーガン政権の軍拡競争促進を許すことができずに、オハイオ州から民主党の連邦下院議員の予備選挙に平和を訴えて立候補したが、落選した。
私の市民としての権利行使に対して、私の所属する学部チェアマンや工学部長は、経済的に大変大きく私を罰した。
1991年、“石油資源のための湾岸戦争”が終わったとき、私は考え方を同じくするオハイオ州アセンズのユニテヤリアン教会の仲間達と力を合わせ、第9条の会(A9S)を発足させた。
A9Sは、「日本国憲法の戦争放棄の第9条の保存」と、最終目標は「地球上の全ての国が第9条の原理を採用する」ために働く組織です。
(石油資源戦争について、また、第9条の会については「対訳地球憲法第9条(A CALL FOR PEACE)オーバビー著、國弘正雄訳、桃井和馬写真、たちばな出版」を参照してください)
私は第9条の英知を知らせるために、日本の各地、そして、世界で講演をしています。
最近のものでは、2003年秋に6週間、2005年夏に3週間、日本で。
そして、2005年の5月には、スペインのゲルニカで開かれた国際平和博物館会議に、第9条のことを伝えに行きました。(www.article9society.orgには、各々の講演論文、その他を読むことができます)
―以上引用続くー
明日と18日の講演会のチラシです。お近くの方はどうぞお出で下さい。


2026年1月11日 記
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