下記ブックカバー写真でご紹介する「戦場体験を受け継ぐということ」―高文研 は戦後生まれの著者遠藤美幸さんが高齢の生存元兵士に何年もかけてインタビューを重ね彼らの戦場での実体験を聞き取り調査を続けながら記録した労作です。

(元兵士からすれば次世代に当たる)我々にできる精一杯の戦場体験継承活動の一つでしょう。
「自衛隊も米軍も、日本にはいらない」の著者である私も終戦時は満3歳に満たない幼児でした。
1941年12月8日、日本軍による電撃的マレー半島侵攻と真珠湾攻撃で始まった太平洋戦争開戦から80年目になります。
戦場を体験した軍人・軍属や召集されて戦った一般市民の生存者も今では数えるほどになりました。
日本が米英に戦争を仕掛けた(仕掛けさせられた?)ことすら知らない若者が大勢いるとのテレビ報道もあり歴史の風化をあらためて痛感させられます。
現在の自衛隊は最新鋭兵器を持ち訓練を重ねている立派な軍事組織です。しかしその自衛隊員ですらイラク派兵の際に一時危険な状況に置かれたことがあったと後になって知らされましたが銃撃戦などは幸いにも一度も経験していません。
にもかかわらず軍事や戦争のことを知った積りの人々が戦場の悲惨な現実を直接知らないまま威勢よく「日本の独立が脅かされる際には(外国に攻められたら)命を懸けて反撃し戦う自衛隊は絶対に必要である」などと声高に言っています。
そして「非武装中立による平和など“絵に描いた餅(画餅)”であり絵空事である」等と非武装論者をまるで夢想家のように扱います。しかし非武装中立がどうして非現実的な夢想なのかキチンとした理由を納得のいくまで説明するのを聞いたことがありません。
おそらく現在の世界情勢、とりわけ中国や北朝鮮の軍事的な動きをすべて日本に対する直接的な脅威とみなして国民の不安を煽る背景には何か不純な動機や政治的思惑が隠されているのかもしれません。
私も戦場体験など経験したいとも思いませんが国家のためにたった一つの命を捨てることを余儀なくされた先人の艱難辛苦をせめて共有しようとこれまで元従軍兵士によって書かれた戦場体験録を数多く読み、 又たくさん残されている戦争の記録映画などを飽きるほど見ました。右の写真はその戦場体験を記録した書物や記録映画のDVDの一部ですが興味がある方は古書店などで探して手に取ってみてください。私はこれまで国内の多くの自衛隊基地や米軍基地に自分で足を運び自分の目で基地の存在を確かめながら近隣住民の意見なども聞きました。基地が公開される「~基地祭」では自衛隊員と話して実情を尋ねたりもしました。
最後になりますが昨年私がコスタリカ通信に投稿した「軍備全廃を訴え続けた元陸軍中将遠藤三郎」の記事と「遠藤三郎元陸軍中将の略歴」を掲載しましたので参考までご覧ください。遠藤三郎元陸軍中将ほど帝国陸軍の中枢にあって戦場の前線も知り尽くした軍人は多くはいません。そして彼が戦後、日中友好と再軍備反対運動に献身的に取り組んだのも彼の戦場体験に裏打ちされた軍事力による安全保障政策(抑止力としての軍事力)の限界を知り尽くした知見に基づいています。いくら“現在の兵器の技術水準は当時とは比べものにならないくらい高い”と言っても遠藤の時代にも既に核兵器はありました。この遠藤の非武装論は戦場体験のない現代の政治家、軍事評論家や防衛関係者など抑止力必要論者の言説をはるかに凌ぐ説得力を持っています。
私の提案する非武装中立日本の建設を進めるうえで“自衛隊は絶対なくせない“との考えを捨てきれない人たちの不安「攻められたらどうする」を取り除くのは骨が折れますが従軍兵士たちの貴重な体験記録を読んで少しでも戦場体験を共有すれば皆さんも軍事力強化による安心の行きつくところは何処か、目が覚めるのではないでしょうか。
そして何より拙著「自衛隊も米軍も、日本にはいらない」を最後までざっとではなく、じっくり読んでいただけたら「攻められたらどうする」の不安は即座に解消すること請け合いです。本書が類書では見られない大事なポイントを衝いていることにも気付きます。そして私たちの決意一つで本書で提案している恒久平和の実現や理想に近い社会が実現することに希望と強い確信が持てることと思います。

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