<第18回総会記念特別Web講演>
「菱山南帆子さんに聴く」<前編>

 5月30日(日)、当会総会はコロナ禍において、昨年同様リモートでの開催となりました。そこで本年は、安保法案、原発、コロナ禍における女性の貧困等、平和問題・社会問題について、数々の街頭活動や市民運動等を企画・主催し、声を上げ続けてきた菱山南帆子さんに、市民運動に関わるようになったきっかけから、さまざまな活動を通して今何をどのように変えなければいけないか、また今後の展望に至るまで幅広くお話を伺いました。今号では紙面の都合により前編をご報告します。
 以下、菱山さんのお話です。

 障害者施設で働きながら市民運動をしています。軸足は市民運動です。現在32歳で、学生時代から障害者施設でアルバイトもしてきたので12年ほど働いていますが、このコロナ禍で、今まで行われてきた障害者福祉のサービスが削られてきており、私たちがどれほど支援をしても指の間から転げ落ちてきてしまうような状況が続いています。私の市民運動のきっかけですが、私は13歳のときから市民運動をやっています。教育や先生との出会いが、私が政治を考えるきっかけになり、市民運動を始めることになりました。私が最初に声を上げたのは2000年。当時学級崩壊という言葉が流行っていましたが、小学5年生の私のクラスでも学級崩壊が起こっていました。男の子たちが席につかずに教室を歩き回っていたとき、担任が「席に座れないなら、そういう障害者だから障害者学級に行きなさい」と言いました。私はそのことに対し、「差別発言だ」と抗議しました。そして、先生が担任を辞めるまで私はクラスに戻りません、と言ってクラスの女子半数を組織して廊下に机を出して3カ月間クラスに戻りませんでした。「折れることも大事だ」と言った先生もいたり、「君たちは正しい」と言って応援してくれる先生もいたりして、先生というのも全員が正しいことを言っているわけではないということがわかりました。その中で応援してくれた先生が担任に替わってくれることになりました。
 1999年に国旗国歌法ができ、それまで録音テープの再生だった入学式・卒業式の国歌斉唱が生演奏になり、先生たちの口元が注意されるようになりました。音楽の先生が歌には意味があると教えてくれ、君が代の意味を教えてもらった私は、率直にちょっと気持ち悪い歌だなと思いました。母が「歌わない選択肢もある」と教えてくれたので私も、じゃあ私も歌わない!と思って小学5年生のとき、初めて式で不起立をしました。しかし、そのときの校長先生はじめ先生たちの対応には、子どもたちの悪ふざけや、学級崩壊で立ち歩く子がいたことなどとは全く違う異質な空気を感じました。その後に一緒に不起立をした先生は他の学校に異動させられました。これまで自分がやったことに対して、応援してくれる先生たちもいたのにこの君が代に対しては目に見えないものすごい圧力で、全体主義のようなものが日本を覆っていることをこのときに感じました。2001年、9・11米国同時多発テロ事件が起こり、高層ビルに飛行機が突っ込む映画のシーンのようなあの映像が何度も放送され、ブッシュ大統領が「正義の戦い」を訴えていました(アフガン戦争になりました)。父から「この映像にばかり目を奪われるのではなく、どうしてそうなってしまったのかと考えなければ真実は見えてこない」と言われました。それからは、テロがなぜ起こるか、テロを戦争で押さえ込んだら負の連鎖でまたテロが起きるんじゃないかと私は思い、そのことを作文で書いたら、先生はその部分に波線を引いて“Very Good!”と返してくれました。もしここでテロリストは何がなんでも悪いんだという先生と出会っていたら私は変わっていたかもしれません。

 2003年にはイラク戦争が始まりました。私は作文を書いたりするという学内だけの運動でいいのか、それでは声を上げてないに等しく、始まろうとするイラク戦争の賛成側に入ってしまうのではないかと焦りを感じて、初めてデモに参加しました。
 学校では少数派なのに、日比谷の野外音楽堂に行ったら何万人もの人が来ていて、私ひとりじゃないんだとすごく驚きました。それからデモにも行くようになり、得た情報は、当時はツイッターもフェイスブックもなかったので、手作りのビラを中学校の昇降口で撒きました。それを中・高6年間続けました。開戦日、学校は終業式だったので、式が終わった後アメリカ大使館に駆けつけると、大使館前は近づけないように機動隊が何重にもバリケードを作り、ジュラルミンの盾で市民を押して離れさせていました。私はジュラルミンの盾で初めて押し返されショックを受けました。お巡りさんは市民を助けてくれる必要な人だと思っていたのに、国家権力(その当時そんなことはわからなかったが)はどっち向いて仕事してるんだと本当に驚きました。
 そこから3カ月間、毎日アメリカ大使館前に座り込みに行きました。学校が終わると大使館前に行き、一緒に座り込みをする大人に宿題を見てもらい、家に帰って朝起きると学校に行って、アメリカ大使館前へ行って、を3カ月間続けました。その中で運動の歴史とか、私たちの権利が全て運動によって勝ち取られてきたものであること、憲法のこと、私たちが当たり前だと思ってきたものが放っておけば奪い取られてしまうものだということ、闘うことは生きることだと大人たちの会話から知りました。
 また、運動は一回盛り上がったらそこで終わりではなく継続することが重要で、運動をずっと経験していると潮の満ち引きのような波があり、盛り上がるときはいいが潮が引くときこそ運動の大事なときで、私たちは次の運動のときに目印にならなければならない、引き潮のときもそこだとわかるくらいに根を深く差したアンカーにならなければならない、続けることに意味があると思っています。
 ただ、いつもエネルギー満タンで運動してきたわけではなく、消耗してやめていた時期がありました。その時期があったからもっと楽しくもっと持続可能な運動をやっていこうと思うようになりました。
 今、運動の潮目が変わろうとしてきていると感じます。社会は、人の命と暮らしが大事、命を守らなければならないと感じ始めています。安倍・菅政権は、市民の命や暮らしを考えていないのではないかと思うのです。菅首相の「自助・共助・公助」は、それを端的に表しています。女性の相談や大人食堂、そういった命を助けなければならないという活動につながっていきました。私たち自身の拳の上げ方が変化しているということです。闘う一点張りではなく、憲法を見据えながら、共感といのちと暮らしに寄り添った闘い方を考えています。
 変える必要・考える必要、ということで気になることは2点あります。まず大前提として今年は選挙があるので、選挙に勝たなければならないと思っていますが、その際にも2点。2つのレールから降りる発想が必要です。
 ひとつは、新自由主義的な人間不在のレールから降りること。もう一つは日米安保のレールからきっぱり降りることが大事だと思っています。この利益最優先の考え方と、北朝鮮・中国怖い、とあおって軍事力を拡大しようとする考え方が自民党の岩盤支持層の発想です。私たちが立ち向かわなければならない相手です。前者のお話の前に、最近気づくことで、若い人たちと話すとき、彼らは時給も安いし、労働者として尊重されていないにもかかわらず、なぜか経営者目線とか権力マインドで話してくる、「このままじゃ経済立ちいかないでしょ」みたいなことを言う。「何言ってんの、あなた時給千円の低賃金で働いているんでしょ」と驚きます。労働組合が潰されたことで、実は権利のないものとして放り出されているのに、自分が労働者で、その権利を守らなければいけないという自覚を奪われてきたのですね。私もそうですけど、バブル崩壊後は若い人はいい時代を知らない、権利を守られてきたことがないから「今さえよければ」という発想になってしまっています。小泉政権から始まった巨大企業のグローバル展開により、国際競争力が必要とのことで、低賃金と不安定雇用が拡大し、さらに生産コストを抑制しながら企業の利益を拡大してきました。人は使い捨てになりました。小泉政権が「自民党をぶっ壊す」といいながら、結局、壊したのは戦争体験を持ち憲法の枠を強く意識して平和を守ってきた自民党の保守層だったのではないでしょうか。郵政民営化に見られるような規制緩和が進み、持たざる者と持てる者の格差がどんどん広がり、その後のアベノミクスへとつながり、新自由主義が広がってきています。コロナになって、多くの女性たちが路上生活を強いられ、衣食住ともに本当にひどい思いをしている中で、実態とかけ離れた株価の動きがあります。今年2月に日経平均株価が3万円を超えたとき、首相は衆議院予算委員会で目標達成で「感慨深い」という言葉を使いましたが、その背後でどれだけの人が苦しんでいるのか何も分かっていないんだなと思いました。自らの利益追求が、国内外の自然破壊をもたらしていることにも留意する必要があります。
 私たちは、こういった資本主義・新自由主義・利益優先の流れに、どう対抗していくかというと、フードバンク、子ども食堂、大人食堂、コロナ禍での相談会など、目の前の命を守ろうという運動を行っています。こういった動きも一つの大きな基軸になるかと思っています。
 持てない人たちは、分かち合う経済を作り出していく必要があるのではないか。一番なら何でもいい、とにかく儲けなければいけないのではなく、もっと健康で豊かに生きていくために大転換が必要なんだということを、私たちは運動の実践としてやっていかなければならないと思っています。
 もう一つ、日米のこと、東アジアの市民レベル。今完全に対中国路線になっています。
 今まで「北朝鮮」と言っていたのに急に中国のことで騒ぎ出し、この春にはコロナ禍の中で菅首相がアメリカに行って、日米首脳会談で「台湾有事」という言葉が出てきました。中国に敵対する路線でいくということは、どこが犠牲になるかというと沖縄の南西諸島が足場になって、そこの人たちが犠牲になるということです。このことを考えて行かなければいけないと思うのです。
 そのために私たちは何をしたらいいか。法の実践ということを今こそやらなければならない。これほどまでに素晴らしい憲法があるにも関わらず、これを使っていかないということはないと思うのです。

―― 次号へ続く ――

 当日ご参加いただけなかった皆さんにも、当日と同じ感動をお届けしたく、お話の内容をできるだけ文字に残したため長文となりましたので、前編・後編とし、次号に続きます。

菱山南帆子さんプロフィール
1989年東京都八王子市生まれ。中学1年のときから、イラク戦争反対などの市民運動を開始。現在、福祉施設職員として働きながら、「許すな!憲法改悪・市民連絡会」「解釈で憲法9条壊すな!実行委員会」「戦争させない・9条壊すな!総がかり行動実行委員会」のメンバーとして活躍。当会会員。
著書:『嵐を呼ぶ少女とよばれて―市民運動という生きかた』(はるか書房、2017/3/1)

リモート受講者の感想

●ほぼ自民党独裁ともいうべき状態で虚偽、ねつ造、何をしても平気、責任をとるなど全く関係ないという事態にもかかわらず若者を始め多くの国民がこれを容認するという世も末と嘆きたくなるのに、未来があると確信させていただいたすばらしいお話だった。
 お話中の都立高の男女別定員について元都立高教員として一言。戦後男女共学が実現したとき、埼玉、群馬、栃木は男女別学の高校を維持した(男女共学は新設校のみ)。単純に成績だけで入学を決めるとまた男女別学に戻りかねないと考えて都立高の教員はできるだけ男女同数の学校を維持しようとしてきた。
 学校教育は点数や受験だけでない部分が多いし、男女別学の私立の定員も関係しているので多面的に考えるべき課題ではなかろうか。 松浦利貞

●「信ずる道を行け」。昔、先輩から贈られた言葉です。
 菱山さんにふさわしい言葉だと思います。慣習にとらわれず、自分の考えで行動する若者を支えた両親、先生、大人たちに恵まれたことに感謝したい。広義のハラスメントは、私のような年齢の男性ですら(市民団体内で)受けており、若い菱山さんたちの心労は計り知れませんが、はね除けて、太陽の下、王道を進みましょう。 鈴木国夫

●菱山さんの話を初めて聴きまして大変感動しました。あの若さで、自己の活動体験に裏打ちされた言葉の説得力に圧倒されました。
・13歳のときに、「おかしいと思ったこと」に同調してくれる仲間とともに行動に移した実行力。
・9.11テロのときの、父親の「そうゆう不合理な事象に遭遇した場合、その背景をしっかり学んで行動しなさい」とのアドバイス。→テロの原因を考え、テロは戦争ではなくせない、と思ったこと。
・イラク戦争のとき、派遣に反対の声を挙げなければ自分も加担者になってしまうと思ったこと。
・まずは身近な差別について、しっかり闘うことが大切
・東アジアの市民レベルでの連携をとることも活動のテーマ
・歴史を学ばずして、未来なんか作れない。
・昭和天皇の戦争責任は計り知れないと思っている。
・コロナ禍においても、自ら強権的な姿勢を求める国民の風潮も大きな問題と思っている。
・高齢者とともに活動する機会が多い。思考が古くならないことが大切。
彼女は高齢者を「オールドスタイルニューウエーブ」とみている。講演の中では、もっといろいろな印象に残るワードを発信していました。彼女の情報をもっと知りたくなり、YouTubeで何本かみましたが、どれも彼女の威力が発揮されていて見事でした。 内藤忠彦

●小学生のころから、「君が代」の起立斉唱を拒否などの実践力、素晴らしい。その後、「まっすぐな道では迷うことはない」人生を進め、「職業」(生業:生きるために金を稼ぐ)と、「仕事」(自分の生きる目標または社会活動の実践)の両立を見事に実践しています。
 菱山さんとは、「安保法制違憲訴訟の東京地裁での原告陳述」でご一緒して、対面挨拶済みです。八王子駅北口の「金八デモ」でお会いできるのが楽しみです。 渡辺敦雄
●港9条の会以来数年ぶりに菱山さんのお話を聞きました。
 いつぞやは新宿西口駅前の街頭で総がかり行動の皆さんと頑張っておられる姿もお見かけしました。
 幼少時よりずっと変わらない社会の不正義、不公正を見逃さず抗う姿勢に、我が身の来し方を重ねています。現在私の周囲を見渡しても見かけることのない素晴らしい方と感心しながらお話を聞きました。
 願わくば、貴重な時間とエネルギーを「戦争法や憲法改悪に反対する運動」を越えて「自衛隊や日米安保そのものを廃棄する恒久平和の運動」の担い手として私たちの運動に加わってもらえたら良いのにな!と思わず期待してしまいました。
 総がかり行動の目指す反戦や護憲は言い方こそ違え自公政権も言っていることなので、対抗スローガンとしては迫力不足です。真の恒久平和を求め戦争の根源を断ち切ろうとするならば、防虫剤や痒み止めではなく殺虫剤を撒かないと、と思います。
 南帆子さんは果たしてどう思っておられるかお聞きしたいと思いました。 花岡蔚
●過去の国会近辺での集会やデモで、いつも遠くから菱山さんの姿を見てはおりましたが、直接、話をお聞きすることが出来ましたこと、彼女の、運動へ真剣に取り組まれる姿勢と力強い言葉に、改めて感動いたしました。
 「めぐせた」でも、なんとかして、地域の若い方々との接点ができないものかと思いつつ。 羽立教江
●2016年2月28日の学習会に初めて来ていただいたときに「一人ひとりが広告塔にならねば」という菱山さんのメッセージがきっかけで一人デモを始めた。5年後、とてもたくましくなった菱山さんから「運動の基本は対話だ」というメッセージがあった。この言葉を忘れず、一人デモを続けようと思う。 小倉志郎
●菱山さん、ありがとうございました。ご経験と実践に裏打ちされたお話は、一つ一つの言葉に説得力があり重く受け止めました。
 改めて、対話を重視して紛争や環境・人権・平和問題など一つひとつ解決するコスタリカの姿勢に学ぶことの重要性も再認識しました。いつも前を向いて声を上げる。諦めずに声を上げ続ける。
 その声を少しでも大きくする。目の前の倒れている人に通り過ぎず声をかける。私にもできることを見つけていきたいと思います。 HMZ

~2020-2021 コロナ禍における新しい試み~
第7回「コスタリカ・オンライン勉強会」

講師 日本共産党国際局 松島良尚さん

2021年2月9日

 97年から国際局、「しんぶん赤旗」の外信部で中南米地域を担当している松島です。
 今日は、社会主義・共産主義についての日本共産党の考え方についてお話しさせていただきます。私たちが今目指しているのは、財界の支配とアメリカへの追従、日本政治のこの2つの歪みを正す民主主義革命です。
 同時に、その先に社会主義・共産主義を展望しているわけです。私たちは、資本主義の矛盾が深まる中で必然的にそういう方向になると考えています。

◆資本主義は未来永劫続くのか◆
 そもそも、私は、人間の歴史から見ても今の資本主義が人類の最後の社会だと考えるのは合理性が薄いのではないかと思っています。日本でいえば旧石器時代から縄文、弥生時代を経て、紀元400年か500年くらいに古墳時代に入り、そこから封建制の社会が始まって江戸の終わりまで続くわけです。日本の資本主義は1868年の明治維新以降ですから、まだ200年も経っていません。その社会が未来永劫続くとする考え方果たしてどうでしょうか。
 また、資本主義の矛盾は、格差や非正規就業の問題、脆弱な医療システム、そしてこういう社会を先導する新自由主義の問題など、新型コロナ禍のもとで強烈に現れているのではないかと思います。今日示したい1つ目は感染症の問題です。お手元の資料にあるように、1970年代に入って主な感染症が7つ発生しています。平均すると4年に1回ぐらいの割合で新しい感染症が発生していますが、テンポが速くなっている。この背景には、一つはグローバル化で人の流れが激しくなっていること、もう一つは環境問題です。人間がどんどん森林を壊して新しい生態環境に立ち入り、ウイルスをもらって感染していくというプロセスです。
 感染症は昔からありますが、この半世紀ほどで多発しているのは今日の資本主義の発展のもとでの現象ととらえることができるのではないでしょうか。
 資料の2つ目は国連の人間開発計画書の2020年版です。そこでは、世界的な金融危機、気候危機、そしてコロナ危機などの現状は、現在のシステムの回復力そのものが崩壊しつつあることを示していると述べています。システムの回復力と言っていますが、体制あるいは資本主義を指しているといってもいいでしょう。
 3つ目の資料は日本の経団連が昨年11月に出した新成長戦略です。利潤追求のみを目的とした各種フロンティアへの経済活動の拡大は環境問題の深刻化や格差問題の顕在化の影の部分をもたらした、とあります。さらに新自由主義の流れをくむ我が国を含む主要国での資本主義は行き詰まりを見せている、とも述べています。経団連自身が資本主義の行き詰まりに触れざるを得ないような状況にあると言ってるわけです。こうした動きは、「ステークホルダー資本主義」という考え方、つまり、株主だけでなく、従業員やその家族、社会などすべての利害関係者に責任を持つべきだという考え方と共通しています。昨年1月の世界経済フォーラムのテーマも「ステークホルダー資本主義」でした。
 このように経済界そのものが今の資本主義のままでいいのかと問いかけ、それにコロナ禍が拍車をかけています。
 この動きをどう捉えるかということですが、資本主義の枠内では何も解決しないんだからそんなことを言っても仕方ない、時間稼ぎしているだけだという声があるかもしれませんが、資本主義の枠内であっても可能なことはすべてやるべきだし、資本主義の延命策になるにしても、国民の生活に少しでも役に立つならいいのではないかと私は思っています。昨日の新聞によると、大手商社すべてが気候変動問題に関して炭素関連事業から手を引くという流れになっています。最近、ESG投資、つまり環境・社会・企業統治に配慮している企業を重視・選別して行なう投資のこともよく取り上げられています。利潤をあげることとさまざまな問題解決が一致する方向であるなら、それはそれで結構なことです。

◆「利潤第一主義」から「生産手段の社会化」へ◆
 とはいえ、財界でさえ憂慮するような資本主義の問題はどこに根本的な問題があるのでしょうか。私たちは資本主義の「利潤第一主義」にあると考えています。それは、経済や社会が発展する推進力にもなりますが、没落の推進力にもなっていくのではないでしょうか。
 私たちは、この「利潤第一主義」を取り除くために、生産手段を社会の手に移す、働いている人たち、国民の手に移す必要があると考えています。「生産手段の社会化」といいますが、それが社会主義・共産主義の核心であり、生産や経済の目的、モチベーションは社会と人間の発展のためにというふうに変わっていくと思います。
 この社会化という中には、所有、管理、運営がありますが、管理と運営は大企業の民主的規制という角度から、そして民主主義革命を通じて、ある程度経験を積んでいくプロセスがありますが、どうやって生産手段の所有を移すのかという問題はいまその青写真を描くべきではないというのが私たちの考えです。国営化もありうるし、協同組合化あるいは大学や自治体の所有もあるかもしれませんが、いまの段階で青写真を示すのは将来の手をしばることにもなりかねません。大事なことは働く人たちが主人公になることです。旧ソ連のように、国営といっても実際は一部の特権層や官僚組織が牛耳るのでは、「社会化」とはとてもいえません。「生産手段の社会化」については、日本共産党綱領の第16節で述べています。

◆「人間の全面的な自由の発展」◆
 では、「生産手段の社会化」が実現する未来社会、社会主義・共産主義の社会の最大の特質は何か。私たちは、人間の全面的な自由の発展が核心になると考えていますが、エンゲルスの言葉を借りると、共産党宣言からの引用ですが、「各人の自由な発展が万人の自由な発展の条件であるような結合社会」です。
 それは、労働時間の短縮によって、文化、芸術、スポーツ、科学などさまざまな分野でだれもが自分の関心や才能を思う存分に伸ばしていける、そして各人の発展が社会の発展にも反映していくということです。現在の日本では、芸術家や演奏家は多くの場合、幼少のころからその才能を育んでいます。そういう才能を見出し、伸ばした身内の方も本人の努力もすばらしいものだと思いますが、同時にだれもがそういうプロセスを歩める条件にあるわけではありません。それを可能にするのが未来社会であり、それによって社会全体もいっそう発展しうるのではないか、ということです。
 以前は、「能力に応じて働き労働に応じて受け取る」あるいは「必要に応じて受け取る」、それが社会主義であり、共産主義だという考え方が広くありました。私も学生のときにはそうした考えでした。しかし、この考え方は主に分配に関わることです。物質的に豊かになるということは大事なことですが、それが未来社会の最大の特質だとすれば社会主義・共産主義は薄っぺらで寂しいものになってしまいます。大体、いまの日本社会においては、富裕層でなくても、贅沢はともかく特に生活に困っておらず、将来も心配していないという人は少なくないと思います。科学的社会主義の学説という点でも、「能力に応じて」という考え方は、マルクス、エンゲルスではなく、レーニンの時代のものでした。
 人間の全面的な自由の発展が未来社会の核心だといいましたが、その条件である労働時間の短縮について、マルクスは、必然性の国と自由の国ということを述べています。国というのはカントリーではなく、人間の生活時間を指します。人間の生存、生活にとって必要なものを生産する時間を必然性の国、それ以外の自由な時間、つまり、人間の能力の発達それ自体を目的とする自由の国の2つに分けて、自分たちの生命を維持する労働がなくなることはないが、未来社会ではこれがどんどん小さくなって、逆に自由な時間はどんどん膨れていくと言いました。したがって、社会主義・共産主義とは何かというと、端的に言って、それは人間の自由な発展ができる社会だと私たちは考えています。

◆発達した資本主義国の変革こそ社会主義・共産主義の大道◆
 こうして未来社会を展望するうえで、日本共産党は、発達した資本主義国での社会変革は社会主義・共産主義の大道だと考えています。私たちは、旧ソ連についても、中国も、社会主義とみなす根拠はないと判断しています。これまでの世界では、資本主義時代の高度な経済的・社会的な達成を踏まえて社会主義的変革に取り組んだ経験はありませんでした。発達した資本主義国での社会主義・共産主義への前進を目指す取り組みには、特別の困難もありますが、4つ目の資料にあるように、大きな可能性として5点をあげています。それはもちろん、発展途上国での変革の可能性を否定するものではありません。発達した資本主義国の条件を踏まえ、そうした国々での変革がこの事業の大道だと考えているのです。
 第1は、高度な生産力です。
 第2は、経済の社会的規制、管理の仕組み、国家独占資本主義として、法律や行政指導、財政や税制、金融などさまざまな形で国家が経済に介入する仕組みが既にかなり発展していることです。
 第3は、国民の生活と権利を守るルール、この面でも、資本主義のもとであっても、生活保護法や労働基準法などが、世界の中では比較的しっかりした行政システムの下で広範に存在しています。これらも十分活用できるものです。
 第4は、自由と民主主義の諸制度・国民の闘いの豊富な歴史的経験です。国民の闘いは、封建時代から資本主義へと連なり、資本主義の下でも未来社会へと地続きです。
 第5は、人間の豊かな個性です。原始共同体や奴隷制、封建制の段階では、社会的な規模として人間の個性が大きく発展したとはいえません。原始共同体は生存に精いっぱい、奴隷制は人格を否定した時代です。封建制も領主と人民は人格的に支配・隷属の関係にありました。資本主義では、経済的には支配・従属関係ですが、法律的には平等です。独立した人格、個性が社会的規模で初めて生まれてきた時代です。搾取制度の限界があっても、豊かな個性が社会的規模で形成され、未来社会をつくる重要な条件となります。発達した資本主義国はその豊かな条件を備えています。
 今日の話は一応ここで終わりにし、出されている質問に移りたいと思います。

【参加者の質問に答えて】
 まず、社会主義・共産主義の基本的な考え方というのはこれまでの話に込めたつもりですので、次に移ります。
 2つ目は、冷戦下の中米の状況についてです。私はその頃の状況を実際に経験したことはないので、現在の中米、中南米の情勢で感じていることをお話しします。その前に、質問にある「共産化」という言葉なのですが、当時のこの言葉の真意は、ソ連の勢力圏の波がこの地域に押し寄せてきたという意味であって、独裁政権などに抗して闘っている中南米の人たちが社会主義・共産主義の旗を掲げて闘っていたわけではありません。「共産化」は、アメリカが自分の覇権主義が脅かされるという文脈での言葉だと思います。そして、ソ連の狙いはともかく、現地の人たちにはソ連の手先という思いはありませんでしたし、独裁政権からの解放を求める正当な闘いであったと思います。
 中南米とりわけ中米は、しばしば「アメリカの裏庭」という言い方をされますが、私は既にその言い方は実情に合わないと思っています。どの政権が、右だろうが左だろうが、いまでは対米自立という方向に動いているのではないでしょうか。その典型として見てとれるのが1月22日に発効した核兵器禁止条約です。アメリカは躍起となって阻止しようとしましたが、中南米では28カ国が署名し、21カ国が批准しました。全世界で52の批准国があり、中南米は条約発効にもっとも貢献している地域です。そして、発効要件とされる50カ国の批准についていえば、50カ国目はホンジュラスでした。左派勢力からもっとも親米あるいは対米従属といわれる国が発効のきっかけとなったのです。これも興味深い現象です。
 ベネズエラ問題でも、対米自立の流れを感じます。いま、コスタリカはじめ中南米諸国がリマグループ(*)というのを構成して、ベネズエラ問題の解決に尽力しています。アメリカとも連携しているのですが、トランプが軍事介入の可能性を口にすると、ブラジルの極右政権を含めいろんな国が軍事介入には断固反対するという声を上げ、リマグループでもその立場を確認する。ここでも、アメリカと協力することはあっても、対米追随ではなく、むしろ対米自立の方向を強めているのではないかと思います。
 3つめの質問は、戦後日本の共産主義に対する圧力についてですが、マッカーサー司令というアメリカの圧力、そして松川事件、下山事件など謀略事件を用いた攻撃があったのではないかと思います。1945年10月に日本共産党の宮本顕治さんが出獄し、その年の選挙で躍進するわけですが、その年の選挙でもう213万票38%5議席という成果を上げます。マッカーサーは日本の共産主義は歓迎しないとするメッセージを出し、47年に計画されていた二・一ゼネストを直前に禁止する。49年の選挙では35人の議員が当選しましたが、その直後から下山事件や三鷹事件などが集中して起こり、反共攻撃が吹き荒れる。
(*)リマグループ: 2017年8月にペルーの首都リマにおいて、カナダ、ブラジル、コスタリカ等の米州諸国(メキシコは不参加)がベネズエラの民主主義回復を支援する目的で「リマ宣言」をして発足した。アルゼンチンは本年3 月同グループから脱退。

 1950年にはマッカーサーが、日本共産党は民主主義的傾向を破壊するとして中央役員24人を公職追放にし、52年には破壊活動防止法をつくって共産党をその指定団体にする。戦後はこうした状況が続きました。
 次は、戦後の日本共産党の変化についてです。これも大きなテーマですが、1つだけ挙げるとすると「自主独立という立場」を確立したことを紹介したいと思います。つまり、相手がどんな大国の党であっても外国勢力の干渉は許さない、日本共産党の方針はすべて自分たちで決めるという、当たり前といえば当たり前の方針です。
 50年代にスターリンが日本共産党に干渉をし始めました。
 当時の複雑な情勢の下で日本共産党の情勢の見方について助言者のような姿勢を装い、一部の幹部を自分の手元において党を分裂させる策動でした。こうした事態を克服する中で1961年の第8回大会で綱領を作り、ソ連、中国の干渉と闘ってきました。
 昨年の党大会では、中国などは社会主義を目指しているとする規定を綱領から削除しました。現在の中国について、香港や南シナ海などさまざまな問題から中国は社会主義を目指しているとはいえず、志位委員長は、中国共産党はもはや共産党の名に値しないとまで断じました。日本共産党のこうした判断も、自主独立の立場であるからこそのものだと思います。
 党名に関する質問もありました。日本共産党という名前に抵抗があるのは、ソ連共産党や中国共産党、あるいは北朝鮮のイメージが重なることが大きな原因だと思います。日本共産党は、手前味噌で恐縮ですが、政策は悪くないし、議員さんも頑張っている。汚職もない。だから積極的に支持したいが、旧ソ連のことや中国の現状を見るとなかなか複雑な気持ちになる、こういうところではないでしょうか。
 こうした疑問に私たちもいろんなところでぶつかります。しかし、日本共産党という党名は日本の闘いの歴史を体現しているものだし、日本共産党がやってきたこと、やっていること、そしてソ連や中国をどうみているか、日本共産党は社会主義・共産主義をどう考えているか、これらのことを地味に語っていくことだと思います。志位さんが言うように、中国やソ連は共産党の名に値しないわけですから。仮に私たちが名前を変えても、それは後ろめたいことがあって反省したから変えたんだろうといわれるのがおちでしょう。ちなみに、日本共産党は、ソ連が崩壊したときに「巨悪の崩壊を歓迎する」声明を出しました。世界の左派勢力の間では、ソ連についていまだに「腐っても鯛」のような評価ですが、私たちはきっぱりと「巨悪」、社会主義とは何の関係もない「専制政治だった」と捉えています。

松島良尚さん
・1997年~ 日本共産党国際局 中南米地域担当
・1998年~2002年、2005年~2008年は「赤旗」メキシコ市特派員

リモート参加者の感想(第7回)

 当日、松島さんはラフな形でお話をしてくださり、ある意味、共産党員でいらっしゃる方の、本音ベースのお話を伺えたのではと感じています。私は(地元の)共産党新宿区議主催の「共産党についての勉強会」に参加したことがありますが、そこでは、建前論(公式の意見)のみが語られていましたので、その意味でも、とても貴重な学びの機会となりました。どうもありがとうございました。
 参加させていただいた2回の勉強会を通して、参加された皆さまの、その折々の飾り気のない発言を聞かせていただけたのも、大きな成果でございました。 渡辺眞知子

●昨日の勉強会は、松島さんから直にお話を聞くことができ、モヤモヤっとしていたところもだいぶクリアになってきました。
 事前の質問投げ掛けで聞きたいこともほとんど話していただけました。いつも準備司会進行を本当にありがとうございます。映像もありがとうございます!皆さんの意見や感想もとても勉強になりました。振り返っての感想ですが、・世間一般にある、共産党は恐いので関わりにくい、の件については、花岡さんの発言を実行してくれたら良いと思いました。
 破防法認定をいつまでもそのままにしないで、きちんと解決させることです。
・アメリカ追従型を止める、核兵器禁止条約批准国になる、自衛隊を無くす、大企業優遇、資本主義の矛盾の原因・利潤第一主義ではない生産手段、所有、管理、運営をする等の政策目標は賛成できるが、やはり具体的な政策は明確でないと思いました。
 斎藤幸平さんの『人新世の「資本論」』が良いとの意見が出ていましたが、コモン:共有財産をお金でしか買えないものとせず、市民や自治体が共同管理する事例を取り入れることについては、より学びたいと思いました。 上原温子

コスタリカに学ぶ会 オンライン勉強会について

 昨年8月から始めたオンライン勉強会(毎月第2火曜日20~22時)も早1年となりました。昨年度はコスタリカの歴史、コスタリカが軍隊を放棄した理由、その後のコスタリカの教育、外交などの努力を学びました。その後、国内でも国際的にも実は大きな要素である共産主義について、日本共産党の方をお招きして、先入観や偏見などを払拭し、現実の日本の政治に結びつく基礎からの勉強をしました。(本号掲載)
 今春からは、花岡しげるさんの著書『自衛隊も米軍も日本にはいらない!』を実現するために、一般の方から問われる疑問「攻めてこられたらどうするの?」について6月に、また「米軍は要らない、と安保条約を破棄したらどうなるの?」について7月に討論しました。
 納得できないところはわかるまで質問して話し合うことが理解を深めることにつながると感じています。
 現在20名弱の方たちが参加されています。お名前と顔出し(常時でなくても)だけが参加の条件です。
 武器を使わずに平和を作るための話を「地に足をつけて」深めませんか。

新刊紹介
司法はこれでいいのか。
裁判官任官拒否・修習生罷免から50年
池原毅和(弁護士)

 日本国憲法の三大原則の一つが平和主義であることは中学生でも知っている。
 この原則の最後の砦になるはずなのが司法であり、最高裁判所は憲法の番人と呼ばれてきた。しかし、それは幻想にすぎず、司法は番人というよりも現状を黙認し、既成事実の拡大を追認する役割を果たしてきている。
 この出発点に1945年8月15日までは治安維持法に基づいて積極的に死刑判決を下してきた裁判官が一人として公職追放を受けず、歴史的責任を問われないままに日本国憲法の番人とされてしまった歴史の陥穽がある。その旧憲法的保守司法が牙をあらわにしたのが第23期司法修習生への弾圧であった。本書はそれに抵抗した人々の姿を通して現代の司法への批判を提起している。

目次
第1章 任官拒否、修習生罷免、そして法曹資格回復
第2章 群像―1971年春(1971年4月5日(阪口徳雄)
    苦難に駆け寄る(梓澤和幸)
    「珍訴奇訴」で挑む闘い(井上善雄) ほか)
第3章 生涯と生きがいを語る(阪口徳雄;梓澤和幸;井上善雄 ほか)
第4章 司法官僚―石田和外裁判官の戦後(思想判事としての石田和外;司法官僚・石田和外の「出生」から東京高裁長官時代まで;「激流に立つ岩」と述べて最高裁長官に就任 ほか)

発行:現代書館
著者:23期・弁護士ネットワーク
阪口徳雄 梓澤和幸 井上善雄 宇都宮健児 海川道郎 大江洋一 河西龍太郎 木嶋日出夫 木村達也 郷路征記 児玉勇二 小林和恵 澤藤統一郎 城口順二 瑞慶山茂 豊川義明 中山武敏 野田底吾 藤森克美 本多俊之 松岡康毅 宮地義亮 村山晃 持田穣 森野俊彦 山田万里子 山田幸彦 安田秀士 吉村駿一
発行日:2021/4/5
B6版 367ページ 2,200円(税込)

続続「一人デモ」
工夫してみたらびっくり

小倉志郎(世話人)

 前号まで、一人デモを始めたきっかけや、一人デモを始める人が増えてきたことをご紹介しました。
 これまで約5年間続けてきましたが、やり方としては背中や胸に、あるいはカバンの横やリュックの後ろに、メッセージを手書きしたプラカードを吊るして外出し、道路を歩きながらや電車・バスの中で周辺の人々にプラカードのメッセージを読んでもらう方法でした。そして、一貫して声を上げない「沈黙デモ(サイレントデモ)」でした。この方法でも、プラカードを見た人々はそれなりに反応してくれたので、やり甲斐を感じていたのですが、目の前の人々の中で、注目してくれる人の割合は極めて少ないのが実情でした。すれ違う人が仮に100人だとすれば、視線をプラカードに向けてくれるのはほんの数人でした。
 目立つように、プラカードを大きめ(A3サイズ)に変えても注目しない人が大部分なのです。これを何とか改善できないかと思案しているうちに、メッセージを声で伝える方法を加えたら良いのでは、と思いつき、今年4月19日から、一人デモの際にハンドマイクを使い始めました。「沈黙デモ」から「発声デモ」への切り替えです。
 実際に「プラカード+発声デモ」をやってみたら、その結果にびっくりしました。今まで視線を向けずに通り過ぎていた人たちが、振り返ったりして見てくれるようになったのです。自宅から横浜駅まで徒歩30分、そこで買い物等済ませた後、戻り30分の計1時間の間に、それまでは、片道でせいぜい10人見てくれるぐらいでしたが、ハンドマイクを使い始めたところ、片道でも100人ほどの人が注目してくれるような実感があります。
 声によるメッセージは、視界に入る人ほぼ全員に届いているようです。視線の方向は関係ないのです。
 使い始めたハンドマイクは、最も安価で出力も最も小さな5Wのものを量販店で見つけました。これでも街頭で周辺を歩く人全員に聞こえるには十分です。ちなみに値段は1200円余りです。
 使い方は、1回数秒のメッセージに声を上げたあと、周囲の人々が入れ替わる約30秒間は沈黙し、またメッセージを発する、の繰り返しです。この程度の発声ならば、通行人にもご近所の家にも迷惑にはなりません。少なくとも始めてから3か月余、クレームをつける人は一人もいません。
 これをほぼ毎日ですから、1日200人として単純計算をすると、1年で約7万人の見知らぬ人々にメッセージが届くことになります。いつでも、どこでも自分の都合だけでできるし、費用も大してかかりません。
 最大の問題は、皆さんが見知らぬ人々の前で、たった一人で意思表示をすることへの「恥ずかしさ」というハードルを越えることができるか否かです。しかし、これも一度やってみると、あとは非常に楽にできるようになります。大手マスメディアが頼りにならない今、何とか現状を打破したいと思われる方にはぜひ試してみることをお薦めします。(了)

■イベントニュース■

■第18回総会報告
総会は、新型コロナウイルス感染症の影響により、昨年同様書面議決により行いました。その結果、5月23日付で2020年度活動報告および会計報告、2021年度新人事および活動方針などが承認されました。
1.今年度の人事世話人: 小倉志郎、児玉勇二(共同代表)、杉浦ひとみ(事務局長)、杉嶋拓衛、戸路裕子、中山武敏(共同代表)、星野弥生、松尾弘、三角忠、宮副ひろ子 (五十音順)
会計監査: 福岡紀子(新任)
2.今年度の活動方針
 国の平和・安全については、日本は巻き込まれ戦火を受ける危険性さえ増しています。コスタリカに学んで、東アジアの平和に積極的な存在意義を持つ国としての視点をもちたいと思います。
 多数が集まる学習会は開き難い状態ですが、さまざまなツールで一緒に勉強をし、活動をしていきます。

早乙女勝元さん新刊ご紹介
『杉原千畝とコルベ神父 ―生命をみつめる』

 ユダヤ人救出に力を尽くした日本の外交官、杉原千畝の足跡を追い体験者の貴重な証言を多数紹介する『生命をみつめる杉原領事とレーロチカのパン』。
 6年間長崎に滞在し、後にアウシュビッツで、友人の身代わりとなって処刑された一人の神父の物語『コルベ神父―優しさと強さと』。
 ナチスの狂気の戦争に抗う2作品が収録されています。

発行:新日本出版社
発行日:2021/5/15
B6版 221ページ
1,980円(税込)

「コスタリカに学ぶ会」にご参加を!

 「コスタリカに学ぶ会」は、2002年5月6日に開催した「映画『軍隊をすてた国』を観てコスタリカの話を聞く会」の実行委員会が中心になり、軍隊をすてたコスタリカ共和国の平和をつくる文化を広く、深く学び、平和をつくろうと発足しました。定例学習会や座談会の開催、通信発行、メール発信などを通じて、全国各地の会員が交流をしながら活動をしています。
 年会費は、1口2,000円(4月1日より翌年3月31日まで)です。関心のある方はぜひご参加ください。

<年会費・カンパの振込先>
◆ゆうちょ銀行からの送金
 口座番号:00130-3-388593(普通)
 加入者名:コスタリカに学ぶ会
◆ゆうちょ銀行以外の金融機関からの送金
 銀行名:ゆうちょ銀行 金融機関コード9900
 店 名:〇一九店(ゼロイチキュウ店)
 口座番号:0388593(当座)
 受取人名:コスタリカに学ぶ会

■通信発行元・連絡先
〒113-0033 東京都文京区本郷3-18-11 TYビル302
東京アドヴォカシー法律事務所内
「軍隊を捨てた国コスタリカに学び平和をつくる会」
(略称:コスタリカに学ぶ会)
電話:03-3816-2061 FAX:03-3816-2063
メールでのご連絡は、PXL11443@nifty.com 小倉まで

■通信編集長よりお願い
通信に関して気がついたことがありましたら、どんなことでも結構ですので、次のいずれかの方法でお知らせください。
メール:PXL11443@nifty.com
郵 便:〒240-0063 横浜市保土ヶ谷区鎌谷町272
電 話:090-8049-3178

(コスタリカ通信)Vol. 66 2021年8月10日
「軍隊を捨てた国コスタリカに学び平和をつくる会」発行

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