今日は関東大震災から98年目の被災記念日です。1923年(大正12年)9月1日午前11時58分、永遠に忘れ得ぬ大災害の日とする文部省撮影記録映画を見てこの大震災がつい昨日の映像のように見えました。

災害は忘れる前にやってきます。

このアーカイブの最後は宮内省巡回医療班のバスの映像と皇居の映像で締めくくられているのはいかにもこの時代の記録映画を思わせます。震災と同時に巷の流言飛語によって各地の自警団や警察などによって虐殺された朝鮮人は吉野作造法学博士が朝鮮人罹災同胞慰問班調べとして10月末までに判明しただけで2613人と記録しています。中国人数百名を含めると犠牲約6千人と推定する学者も多いとのこと。しかしこのアーカイブ映像には自警団は出てきますがこの惨劇は全く登場しません。この時代に自分自身を生きた金子文子が震災後に捕らえられ不敬罪に問われて裁判の末に栃木県宇都宮刑務所栃木支所の監房の窓際で1931年7月27日冷たくなって発見されました。金子文子の短い一生は本人が書いた岩波文庫「何が私をこうさせたか」-獄中日記―のほかに梨の木舎「金子文子 わたしはわたし自身を生きる」鈴木裕子編、さらには岩波現代文庫「余白の春」瀬戸内寂聴著、そして韓国で上映されて235万人動員したという2019年2月公開の映画「金子文子と朴烈」をご覧になった方もいるでしょう。自立した女性として最後まで意思を曲げずに権力に抗した人間はたくさんいますが戦前戦後を通して金子文子ほど薄幸な生い立ちを克服し自分自身を曲げずに正直に生き抜いた女性は空前絶後だろうと私は映画や本人の手記を読んで感じています。さてその朝鮮人が井戸に毒を撒いたとの流言飛語を信じて始まった大震災被害のさなかの歴史の汚点を小池百合子都知事は認めていないようです。かの差別的発言の多かった石原都知事でさえ朝鮮人犠牲者の追悼式典に毎年追悼文を送っていましたが小池都知事は2017年から追悼文を送るのをやめました。小池都知事のことを世渡り上手の「女性の皮をかぶった妖怪」という人もいますが私はそれは言い過ぎと思います。彼女がカイロ大学卒の学歴を詐称していようが本当はアラビア語が全く話せなくても私は構いませんが、都知事として東京を中心に各地で起こったこの歴史的汚点に無視を決めこむこと、そして都議会議員時代(1期のみでしたが)都議会で日本国憲法の無効と日本帝国憲法の復活を請願したことのある都民ファーストの会の代表(当時)を特別秘書に任命していた過去はどうしても許せません。

本書「自衛隊も米軍も、日本にはいらない」は非武装中立日本の建設により平和憲法を体現・実現することも大きな目標ですがもう一つの大きな目標があります。それは自然災害大国日本で発生する災害から国民の生命・財産を守るのは火事や犯罪から国民の生活を守るのと同様、国の責任で行うべきとの提案です。政府がいつも言う自助や共助(自治会やボランティアなど)頼みでは絶対に無理だからです。警察署、消防署と同じように災害救助即応隊ジャイロの駐屯所が全国にくまなく存在していつでも電話一つで救助に駆けつけて市民に安心感を与える体制作りは絶対に国の責任として実施すべきです。火事や犯罪ほどには大規模自然災害は発生しないかもしれませんが、外国の不貞の輩が組織的に日本に攻め込んできたり中国、北朝鮮から日本めがけてミサイルが飛んでくる可能性に比べたら何百万倍も可能性は高いでしょう。これも世界に敵をたくさん持つ米軍そして米軍基地が日本からなくなることが前提ですが。戦争や地震などの大災害で犠牲になるのはいつでも将来ある若者そして女性や幼子です。先の大戦中兵士として戦った生き残りの方々も激減していますが戦場体験した先人の肉声を伝える難しさを5月24日このホームページに書きそこで紹介した遠藤美幸さんが最近webマガジン「生き延びるブックス」に寄稿した記事「悼むひと―98歳の慶応ボーイ」は皆さんと同じ世代の若者が戦時中どんな体験をし、させられたか体験者の貴重な声を直接取材された遠藤さんが紹介しています。URLはhttps://ikinobirubooks.jp/ですので是非ご覧ください。

今の政府・政権を無自覚に支持していると皆さんの大先輩たちの悲惨な体験は確実に明日の我が身になります。

2021年9月1日 関東大震災の98回目の記念日に 記

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